おすすめ本─『津波、噴火・・・日本列島 地震の2000年史』
津波、噴火……日本列島 地震の2000年史
「歴史学をはじめと研究者が、震災という出来事にどのように向き合おうとするのかを相互に語り、課題を示しあったはじめての記録である」(まえがき)
保立道久氏(中世史)、成田龍一氏(近現代史)、平川新氏(近世史)ら歴史学者ら17人による。
コンパクトな本ながら、重要な指摘が多いが、上記の三人に災害史の北原糸子氏を加えた座談会「災害の歴史から何を学び、どう向き合うか」が出色。ここでは、は宮城歴史資料保全ネットワークを率いて3.11以前から精力的に活動してこられた平川氏の言に注目して紹介しておきたい。。
平川新
「東北電力・女川原発は同じ東北太平洋岸に立地しながらそこまで(福島第一原発のような)深刻な被害は受けませんでした。この差はなぜ生じたのか。ひと言で言えば、貞観地震の被害の実態を伝承や古文書をもとに検討し、実際の被害対策に活かした東北電力、貞観地震の教訓を生かせなかった東京電力の差だと考えています。」
「理学系のサイエンス─文明の基礎となる物理の法則や数学の定理─は不変のもので、言語や越えて人類が理解し、共有できるものです。(中略)
歴史学が3.11の経験と教訓を世界に発信する場合も、物理や数学などと同じように人類が共有できるよう、その情報をいかにサイエンスにして出すかという方法論を考えないといけないと思います。」
「権力側の動きが一つありますが、一方、地域社会、民衆社会の側でも、災害が発生した時に、コミュニティや共同体がどのような動きをしたのかという分析もあります。人々の精神力を回復させる動きの一つが祭りや芸能だと思います。」
赤坂憲雄:被災地から再興する祭りと民俗芸能:大阪ガス
「奉一切有為法躍供養」の検索結果 - JIEN記
(実感! 120922大槌稲荷神社祭典 藤田象観)
大槌稲荷神社祭典・小鎚神社宵宮 - JIEN記
「地元の人たちにすら忘れられてしまった石碑や、神社などに伝わる災害の伝承。従来、歴史学は、そういうところに目を向けてこなかったと思うのですが、そのような、歴史の中で民衆が蓄積してきた「災害知」を発掘していくことの重要性を強調したいと思います。(中略)これが3.11を経験した歴史の、今後の大きな仕事となると思います。」同感。
http://www.rits-dmuch.jp/jp/project/tsunami_monument.html
(南三陸町 津波から避難した多くの人を救った久須志神社 右下に倒れている碑をみると↓)
(「昭和八年三月三日 大震嘯災記念 地震があったら津波の用心」碑 昭和三陸大津波の碑1303 ※画像処理)
久須志神社(南三陸)の今 - JIEN記
http://www.miyagi-shiryounet.org/00/front.htm
【主な内容】
「・古代・中世、近世、近現代の専門家4人の座談会
・古代まで遡った津波や噴火の歴史
・江戸時代の富士山噴火の様子
・東海や南海の地震の周期性をどう見るか
・災害2000年の歴史年表も貴重な資料など」 (amazonより)
【データリンク】
地震学の人は頑張っていると思う。: 保立道久の研究雑記
成田龍一 | 東京の「現在」から「歴史」=「過去」を読み解くーPast and Present
(雄勝法印神楽 白銀神社120509)
ご愛読いただいている皆さまへ
突然ではございますが、筆者失職に伴い、今までのスタイルでのブログ継続は困難となりました。残念ではございますが、「jien記」は完とさせていだきます。
この間、3.11大震災に出会い、私の偏狭な視野を変えざるをえなくなるとともに、沿岸にて復興に携わる方々や支援する人たちに元氣づけられてまいりました。
今後は、なんらかの形で復興の手助けをしたいと思っております。
震災の貴重な記録を含むこともあり、当面、補正訂正更新は続けます。
閉鎖はしばらくはいたしません。皆様のご愛読に心から御礼申し上げます。
『土と文字が語る仙台平野の災害の記憶』刊行
以前、仙台市博物館の「仙台平野の災害と歴史文化遺産」に関わる展示に感心していたが、その内容が冊子になってよかった。
『土と文字が語る仙台平野の災害の記憶─仙台平野の歴史地震と津波』(仙台市博物館)が刊行されいただいた。
「文化庁の被災ミュージアム再興事業の助成を受けて作成」とある。前文がないので、市博物館がいち速く、「東日本大震災と歴史文化遺産」を展示化した経緯が記載していないのは残念だが、
「・遺跡や史料に残る主な地震災害の記録
・震災の歴史 ・東日本大震災が史跡に与えた影響(「史跡」は一般用語としての用法) ・東日本大震災における仙台市博物館のレスキュー活動 ・仙台市内レスキューされた歴史資料」
さらに裏表紙に「歴史資料か見つかったら」と東日本大震災を契機とした自然災害と文化遺産に関わる情報がオールカラーで紹介されていて、学校の副読本としても使える。大いに活用してほしい(p14 S25.3.11発行)。
仙台城跡の被災と「仙台平野の歴史地震と津波」展 - JIEN記
復興に向けて見えてきた課題 - JIEN記
井土の八坂神社に詣る
浜への道から内陸側を見る。残った家には大津波の痕跡が激しく残っています。
石の鳥居跡
若林区井土の八坂神社はテンノン様と呼ばれていたとのこと。
後方は貞山堀の新堤防(工事中)
神社の東側の貞山堀の新堤防のそばにアメのように折れ曲がったガードレールと貞山堀の説明板がありました。
(Google井土付近)
【被災状況】
【データリンク】
http://5.pro.tok2.com/~tetsuyosie/miyagi/sendaisi/wakabayashiku/yasaka/yasaka.html
六郷を探る会:藤塚・井土編
http://www.city.sendai.jp/soumu/kouhou/311photo/list_01/
津波被害からの知見とハード対策の方向性:常田賢一・小泉圭吾
Reプロジェクト ここはどういう場所で どんな暮らしがあったのだろう※図の地図では八幡神社となっていますが地元では八坂神社と読んでいます。テンノン様→牛頭天王ですから。
荒浜慈聖観音に合掌して─jien記の終わりに
荒浜慈聖観音(仙台市若林区荒浜)に詣りました。
荒浜を含む七郷地区での津波犠牲者190人の名を刻む荒浜東日本大震災犠牲者の石碑に観音様が映っておりました。
合掌
津波跡に立つ「希望の黄色いハンカチ」から荒浜慈聖観音を望む。
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20130305_08.htm
『アミー号で行った!がんばろう東北 の七ヶ浜特別プラン』宮城県の旅行記・ブログ by まーがりんさん【フォートラベル】
ハルイチ─地底の森ミュージアム
「氷河期の森」の池の中に
地底の森ミュージアムの展示
写真の下に「池の中の卵は孵化するまで優しく見守ってください」と書いてあります。
ハルイチとは?
「2万年前の仙台の植生を再現した「地底の森ミュージアム」(仙台市太白区)の野外展示「氷河期の森」で、ヒキガエルが冬眠から覚め、活動を始めた。スタッフは「森にやっと訪れた春の息吹を感じて」と来館を呼び掛けている。」
「館は森にすむ全てのアズマヒキガエルを「ハルイチ」と呼んで、来館者に生態や来歴を案内している。長田さんは「ハルイチ」を「今では森の主のような存在感がある」と説明。「グイマツの若葉など森の植物も芽吹き始めたので、ハルイチとともに春の訪れを感じてほしい」とPRする。」(河北新報本日夕刊記事の一部より)
http://www.kahoku.co.jp/news/2013/03/20130329t15042.htm
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氷河期の森
久須志神社(南三陸)の今
大津波で斜面をえぐられながら、多くの人を救った清水浜の久須志神社に詣る。
倒れている石碑を見ると「地震があったら 津波の用心」とありました。
写真上で立たせてあげました(文字は画像処理で見やすくしております)。
清水浜方面
隣の広い敷地は学校のようです。
久須志神社の位置(Google)
(赤色:津波浸水域 神社マークが久須志神社『東日本大震災 津波詳細地図上巻』(古今書院)より)
震災直後の付近の様子。
この神社は、なぜ地元では「大天馬さん」とも呼ばれているのでしょうか。
『宮城県神社名鑑』によると「永禄二年(1559)修験台城院学能が祈誓により大天場(神社町HPでは「馬」)十二神または薬師と奉称」とあり、「大天場十二神」のことであったことがわかりました。
かくれ里でcaranke!!: 2011年7月
参考にさせていただいたブログです。
付記
・山形県最上町の「大天馬様」
http://mosk.jp/html/what/rekisi/rekisi2.html