世界遺産をめざしている平泉


2001年10月27日に平泉で見た北上川は息を呑む豊かさを見せていた。

平安時代末期に東北地方を支配した奥州藤原氏の館跡である柳之御所遺跡はその川の岸にあった。12世紀後半には東日本で最も繁栄していた都市とされる。
 
岩手県教育委員会による発掘調査の公開日。そこでは京都風の素焼き土器の皿である「かわらけ」で盛大な饗宴や儀式が行われていた。竪穴から出土している多量の白っぽいものがそれである。

 「ききもせず たばしね山の桜花 吉野の外に かかるべしとは
同族の縁(10世紀頃ムカデ退治の俵藤太ともいわれる藤原秀郷(ひでさと)を祖とする)で西行は平泉を訪れた時に奈良の吉野山と同じくらい桜が美しいと感嘆した束稲山。

久しぶりに訪れたこのあたり、堤防工事がなされたために雄大北上川の流れが見えにくくなっている。垂れ下がる電線も目障り。世界遺産をめざすためには2001年に景観を近づける工夫が必要ではないか。

都市平泉の遺産 (日本史リブレット)

都市平泉の遺産 (日本史リブレット)

「都市平泉」に関する最新の成果が分かりやすく書かれてある。
平泉の世界 (奥羽史研究叢書 (3))

平泉の世界 (奥羽史研究叢書 (3))

専門書だが後半に考古学と文献史学者の熱気こもる対談が面白い。
今後はカラー写真を使った奥州藤原氏関連遺跡発掘成果をまとめた本がほしいところ。
関連企画展http://www.city.sendai.jp/kyouiku/chiteinomori/index.html
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