榴岡天満宮

kanjisin2006-03-22

晴れ、おとといからの強い風止む。見れなかったWBC王ジャパンキューバに勝って世界一になったもよう(やはりイチローはすごい!)をテレビで見てから(普段は野球に興味ないのに我ながら驚く)榴ヶ岡天満宮(宮城野区)の梅花が咲いたと聞いて出かける。

 東風(こち)吹かば 匂いおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ(道真)

昨年は中旬には満開だったが、春の冷え込みで開花がずれたようだ。

境内の撫で牛(臥せ牛)。伝えによると道真は丑年生まれで、牛に縁が深く、暗殺されかけたところを牛に助けられたり、亡くなった時も遺骸を乗せた牛が立ち止まった所が墓所になり、その上に大宰府天満宮が建てられたという。

唐門の一部 の紋とのこと

唐門(市指定登録文化財 江戸時代中期)

「照星閣」とはかっこよい。伊達綱村の整備の時らしい。
元禄二(1789)年5月7日、芭蕉は「躑躅が岡はあせび咲く頃なり...天神の御社を拝みて」と当社を訪ねた。その縁で境内には江戸時代以後の俳句碑が多い。

境内には小さな社がいくつか。庚申社の中に石造庚申塔。見猿・聞か猿がいる。その後天満宮の「縁起」を入手したところ猿田彦の像とある。

「妙見宮」もある。妙見信仰は北極星・北斗七星を神格化した妙見菩薩への信仰なので、先の「照星閣」とも関連してくるのではないか。

境内には樹齢300年のシラカシががんばっているが、年々木々の数が減り、周りにはビルが林立してきた。藤原泰衡源頼朝を迎え討った本陣にしては遺構が発見それないまま、開発が進んできたのは寂しい限り。

極めて由緒のある神社で社伝等によると、天延二(974)年に平将春が陸奥国宇多郡八幡崎に勧請、その後、柴田郡川内に在り、さらに藤原基衡の家臣佐藤基春が小田原玉手崎(現在の東照宮の地)に遷座したとのこと。荒唐無稽に聞こえるが、そういえば奥州藤原氏の首都平泉の守護神の一つは天神社であった。文永元(1264)年島津陸奥守再建とも伝え、天神社の天文22年の棟札写しに「天神宮元祖 大檀那島津陸奥守」とあるのは興味深い。寛文七(1667)年二代藩主伊達忠宗の時、東照宮造営に伴い移転(旧仙台市史などから)。

天神信仰の成立 (日本における古代から中世への移行)

天神信仰の成立 (日本における古代から中世への移行)

もちろん、祀られているのは平安時代の学者菅原道真(845-903年)で、九州大宰府に左遷され、死後相次ぐ国家中枢の人々の死や災害から「超怨霊」の「天満大自在天」となった。河音能平氏によればその背景には10世紀の「しだら神」などの民衆運動や真言密教僧の活動があったという。また、鎌倉幕府は天神と八幡神を所領支配の軸とした。現在は学問の神様になったのだが、その軌跡は国家中枢と民衆の両者の歴史を語り興味深い。