沖縄慰霊の日の茜空


               沖縄慰霊の日の夕空は・・・
1945年(昭和20)のこの日
軍民20万人の死者をだし、3カ月近く続いた沖縄戦の旧日本軍の組織的戦闘が終結して65年。
この日
日米安保条約の発効から50年の日。菅首相は追悼式であいさつ。「いまだに沖縄には米軍基地が集中し大きな負担をお願いしている。全国民を代表しておわびを申し上げる」と述べた。
この日 
普天間高校3年 名嘉司央里(なかしおり)さん(17)が、沖縄全戦没者追悼式で平和の詩「変えてゆく」を朗読した。

この空はオキナワの犠牲の血の塊のようであり
今、生きている沖縄の方たちの思いのようであり
共感する人々の思いのようであり・
戦争を克服できない人類の業のようでもあり・・

  変えてゆく    (名嘉司央里)


今日もまたはじまる

いつもの日常

当たり前に食事をして

当たり前に好きなことを学んで

当たり前に安心して眠りにつく

そんな普通の一日

今日もまたはじまる

いつもの日常

当たり前に基地があって

当たり前にヘリが飛んでいて

当たり前に爆弾実験が行われている

そんな普通の一日

一見「平和」に思えるこの小さな島

そこにいつの間にか当たり前ではない

当たり前であってはならないものが

入り込んでしまっていた

普通なら受け入れられない現実を

当たり前に受け入れてしまっていた

これで本当にいいのだろうか

平凡な幸せを感じながら

ただただ「平和」を望む今

簡単にこの違和感を

無視していいのだろうか

黒いたくさんの礎

刻まれるたくさんの名前

そこで思い知る

戦争が残した傷跡の大きさ深さ

何も幸せなど生まれなかった

何も手に入れたものなど無かった

すべて失ったものばかりだった

忘れてはならない

この島であった悲しい記憶

目を背けてはならない

悲しい負の遺産

それを負から正に変えてゆく

それがこの遺産を背負い生きてゆく

私達にできること

変えてゆくのは難しい

しかし一人一人が心から

負である「戦争」を忌み嫌い

正である「平和」を深く愛する

そんな世界になれば

きっと正の連鎖がはじまるはずだ

6月23日 慰霊の日

あの黒いたくさんの礎には

たくさんの人々が訪れる

そして その一つ一つの名前に触れ

涙を浮かべながら語りかける

「今年も会いに来たよ」と

手を合わせ目を瞑り祈りを捧げる

その訪れた人々に

「平和」を願わないものはいない

「一度あった事は二度ある」

そんな言葉を聞いたことがある

しかし こんな悲惨な出来事は

もう繰り返してはならない

だから…

「一度あった事は二度とない」に

変えてゆこう 平和で塗りつぶしていこう

その想いはきっと届いているはずだから


「沖縄慰霊の日の23日朝、沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)の平和の礎(いしじ)では多くの人々が礎に刻まれた犠牲者の名をなぞり、手を合わせた。米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の移設先として日米両政府が合意した名護市辺野古で暮らし、地元で反対運動を続けている島袋文子さん(80)の兄の名前も刻まれている。【斎藤良太】

 「あの戦争で生き残ることは生やさしいことではなかった」。防衛隊に召集された兄金助さんがいつ、どこで戦死したのか今も分からない。島袋さんも、九死に一生を得た。毎年この日が近づくと、思い出したくない当時の記憶がよみがえる。

 戦前は南部の糸満で暮らしていた。1945年4月に米軍が沖縄本島中部に上陸し、本格的な地上戦が始まると、目の不自由な母カマさん、小学生だった弟盛幸(せいこう)さんと、安全な場所を探して逃げ回った。

 「雨のように降ってくる弾より、死体を踏みつけることの方が怖かった」

 ある日、親子で身を隠していた壕(ごう)が米軍に発見された。「出てこい」の呼びかけを無視したら、火炎放射器を浴びせてきたため、たまらず母と弟を連れて飛び出した。島袋さんは左半身にやけどを負うなどしたが、親子3人は生き残った。しかし、兄の消息は分からないままだ。

 56年に米軍キャンプ・シュワブが開設されたのに伴い、辺野古に移り住んだ。戦後結婚した夫が米軍基地で働いていたからだ。島袋さんも基地内の将校宅でメイドの仕事をした。生活のためだ。だが、ベトナム戦争が始まった時「戦争に苦しめられたのに、戦争に加担したくない」と基地での仕事を辞めた。

 沖縄戦では多くの住民が戦闘に巻き込まれて命を奪われ、戦後も戦争の後遺症や食糧難、そして米兵の犯罪に苦しんだ。それなのに、辺野古への移設を強行しようとしている政府。島袋さんは「許せない」と思う。

 攻撃を避け夜間に逃避行中、死体が浮いていた水たまりの水を気づかずに飲んだ。「今思い出しても吐き気がする。こういう経験をしていないヤマトの政治家が、沖縄にまた基地を造ろうとしている。まず死人の血を飲んでみろと言いたい」
毎日新聞より)

                (2009.6.23・・)
WIKI 沖縄県の歴史
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