仙台平野の大津波の記録

仙台平野は何度も大津波に襲われていました。
869年 貞観地震・大津波─保立道久さんのブログから
「..海口は哮吼し、その聲、雷霆に似る。驚濤と涌潮と、泝除^し、漲長して、たちまちに城下にいたる。..」
訳【海口がほえたて、その声は雷電のようであった。そして、激しい波と高潮がやってきて、川をさかのぼり、また漲り進んで、たちまち多賀城の直下まで到来した。】
↓ぜひご覧ください
・保立道久の研究雑記 歴史家の日常と発想と反省と
http://hotatelog.cocolog-nifty.com/blog/


弥生時代の大津波─2000年前
                    (沓形遺跡位置 仙台市HPより)
そして弥生時代にも沓形遺跡(くつかたいせき)にて大津波の痕跡が発見されています(以下、現説資料より抄出 仙台市教育委員会文化財課平成19年7月28日)。
「調査原因 仙台市高速鉄道東西線建設
所在地 宮城県仙台市若林区荒井字矢取東地内
調査協力 松本秀明(東北学院大学地域構想学科)

(水田跡(弥生時代) の畦畔確認状況(白い部分が津波の砂 仙台市HP)
調査で発見したもの……津波の砂に覆われた弥生時代の水田跡
 約2000 年前の津波堆積物(つなみたいせきぶつ)と判明した砂層(さそう)(5b 層)におおわれた弥生時代の水田跡(6a 層水田跡)が発見されました。水田は、津波によって砂がもたらされるほどの被害を受けて放棄(ほうき)されたと考えられます。こうしたことがわかったのは、国内で初めてです。
 また、砂層の上で見つかった水田跡(4a 層水田跡)は、時期が古墳時代前期(4世紀)であることから、この場所が再び水田耕作に適した土地になるには、河川による土砂の堆積(たいせき)など、長い年月を要したことがわかります。」詳しくは↓
http://www.city.sendai.jp/kyouiku/bunkazai/genchi-kutsu/index.html

●仙台平野の堆積物に記録された歴史時代の大津波─1611年慶長津波と869年貞観津波の浸水域─(澤井祐紀ほか)
http://www.gsj.jp/Pub/News/pdf/2006/08/06_08_03.pdf
●地層に残る津波の証拠 ―仙台平野を襲った平安時代津波
菅原大助1,今村文彦2,後藤和久3(サイエンスデイ2910より)
http://www.science-day.com/2009/conference/abstract/2-2.php
石巻・仙台平野における869年貞観津波の数値シュミレーション(佐竹健治ほか)
http://unit.aist.go.jp/actfault-eq/seika/h19seika/pdf/03.satake.pdf
○『仙台平野の歴史津波
河北新報110205「飯沼勇義さん 「巨大津波が仙台平野襲う!」16年前、郷土史家が本で警告
 「仙台に巨大津波が押し寄せる恐れがある」と16年前に警告を発していた郷土史家がいる。津波の歴史を研究し、対策の充実を訴えていた仙台市宮城野区の飯沼勇義さん(80)。東日本大震災の大津波を目の当たりにし、「行政も住民も危機管理が不十分だった」と悔やんでいる。 」
http://www.47news.jp/news/2011/04/post_20110405161042.html


◎マイケルジャクソン SMILE
津波にも日本列島人はめげずに“スマイル”


「訳詞はSenri's Tapestry 洋楽訳詞集から転記しました。
スマイル  訳詞 senri


微笑んでみて つらくても
微笑んでみて 傷ついていても
空が雲に覆われていても
きみなら越えられる
恐れや悲しみを越えて 微笑むならね
微笑んでみて 明日にはきっと
また太陽が輝きだす
君のために  

今ある喜びで笑顔を輝かせて
全ての悲しみの跡をかくして
涙にぬれていても
きっとすぐそこにあるよ
今は試す時なんだ
微笑んでみて 涙にくれそうな時も
君はきっと日々の価値に気付くはず
君が微笑みを忘れないなら」


  ※「自由が一番!」ブログによります。有難うございます。