1 東北「海道」の古代史(平川南)

陸前高田市立博物館は、館長はじめ職員六名の方が(中略)亡くなられた。(中略)何としても佐藤氏の熱意に応えなければ、との思いから本書を為すことにした。」(「あとがき」より)
「(東北地方の人々の復興へのエネルギーは)豊かな自然の中で育まれてきた、そして時には、脅威の自然に立ち向かってきた歴史と文化への強い思いから生まれているのではないだろうか。」(「はじめに」より)

7世紀後半から9世紀の東北地方を「海道」の視点から考察した書。震災前の陸前高田市多賀城市での講演をまとめたもの。一般向けだが逐一根拠となる出土資料や原典を示し説明しているので、根気と集中力が必要です。
平川南氏の斬新な視点とかつ端正な文章から、おのずと浮かび上がってくるものは、
「豊かな資源を持つ東北」に目を付けた「古代国家」の命で、「集団移住」など否応なく東北太平洋岸地域に送り込まれた関東をはじめとする各地の人々が(加害者が被害者となり)、蝦夷と血みどろの戦いを続けて(被害者が加害者ともなり)、(降伏した蝦夷の西への強制移住(移送)まであって)、・・やがて支配され(でも東北人は自然とともに生き続ける)・・という重い重い、東北の歴史の古代史でした。
直接的な殺戮こそ伴わないものの、「現代国家」も、共通する性格を持ち続けているような気が、最近の原発復活などのニュースを見て感じております。


陸奥国府は、三陸海岸の閉伊地方などから昆布を進上させ、都への貴重な貢納品としたが、その国府に最も近い(鼻節神社のある)花渕浜の大根暗礁が昆布の南限であることも、きわめて興味深い。」古代、三陸から七ヶ浜まで一つの「海道」だったのでした。

南相馬市官衙遺跡付近2012.2)
本書に登場する行方(なめかた)群家の跡(原町区泉)である泉官衙遺跡は、今回の大津波で浸水しておりました。貞観地震津波にも襲われた可能性があるのではないでしょうか。

     (天然記念物「泉の一葉松」そばの色褪せた説明板を画像処理復元)
平川氏によれば、行方群は、「中央政府により大規模な製鉄(金沢製鉄遺跡群 7世紀後半〜10世紀前半)を中核に新たな軍事拠点として設置された郡」
http://www.mahoron.fks.ed.jp/tenji/2008/5tetsu_1.htm

律令国家の対蝦夷政策―相馬の製鉄遺跡群 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)

律令国家の対蝦夷政策―相馬の製鉄遺跡群 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)

http://www.city.minamisoma.lg.jp/hakubutsukan/kikaku/ancientoffice.jsp
8世紀から9世紀前半にかけての集団移住については、実際に発掘されている遺跡がいくつかあります。平川氏の本にはふれられていませんが、ここでは時期的に早い例として8世紀前半の六角遺跡(宮城県蔵王町大字小村崎)と桃生城造営に関わる移民集落の新田東遺跡(石巻市河北町)及び関東からの移民も含めて郡山遺跡(7世紀半ばから8世紀初め)を支えた大集落である長町駅東遺跡(仙台市)を紹介します。
六角遺跡
http://www.pref.miyagi.jp/bunkazai/gen-setu/gen-setu2001/sinden.htm
http://www.city.sendai.jp/kyouiku/bunkazai/genchi-080802n37/index.html
郡山遺跡―飛鳥時代の陸奥国府跡 (日本の遺跡)

郡山遺跡―飛鳥時代の陸奥国府跡 (日本の遺跡)

そして、気になったのは蝦夷の各地への強制移住。彼らの胸中いかばかりか。
http://www.iwate-np.co.jp/sekai/miti/miti22.htm
From Dewanokuni:古代東北の蝦夷(えみし)の強制移住 - livedoor Blog(ブログ)

熱い「あとがき」で救われた思いがしました。
「日本列島の歴史・文化は、海上ルートと、河川が海に注ぐ河口部から展開していく。列島沿岸部の原像ともいうべき古代史を“人と自然”“地域社会と国家”という視点から描く試みが各地で進展することを期待したい。
今こそ、自ら暮らす足元の歴史に市民一人ひとりが大きなエネルギーを見出せるよう、真の地域史を確立しなければならない。」

東北「海道」の古代史

東北「海道」の古代史

・個人的には、ヤマトタケルの東征伝承ルート(駿河─相模─房総─太平洋─東北(多賀城)は、「7世紀前半の歴史的事実を仮託して歴史書に記載されたもの」というところが衝撃的でした。
・本書に登場する気仙郡の拠点─陸前高田市の小泉遺跡
陸前高田市小泉遺跡(樋口知志)
【さらに東北の民の受難と交流の古代史について知りたい方へ】
南北交流と城柵の形成(熊谷公男)
平川氏の語る世界の前段の7世紀初めに「倭王権」の関東からの植民が東北にあったというすごい話など。
著者からのメッセージ・目次
古代の蝦夷と城柵 (歴史文化ライブラリー)

古代の蝦夷と城柵 (歴史文化ライブラリー)


2 遠野学vol.1(遠野市遠野文化研究センター)


三浦しをんさん(三浦佑之氏の娘さんとは!)と責任編集の赤坂憲雄さんとの対談が面白い>
・「このような教訓(難しい漢文で書かれた明治29年の大海嘯記念碑が役立たなかったこと)を受けて、実際に平易な文体で各地に記念碑が建てられた(中略)しかし、その存在をどれだけ活かすことができただろうか」(「反復される災後」西脇千瀬)
遠野文化研究センター

http://homepage2.nifty.com/araemishi/
こちらもお勧め。恐るべし大海嘯(だいかいしょう)


3 語りきれないこと(鷲田清一
「震災の日から五〇日ほど経ったころでした。「せんだいメディアテーク」の図書館のリオープンの日に合わせ、宮城県に行きました。・・・
(友人は)「まちが突然、開いた」と語りだしました。(中略)震災のただ中でこそ文化の意味をつきつめて考えたい、企画者の彼は考えたのでした。」
http://recorder311.smt.jp/

語りきれないこと  危機と傷みの哲学 (角川oneテーマ21)

語りきれないこと 危機と傷みの哲学 (角川oneテーマ21)

やわらかな語り口で、現代日本人に向けて突き刺さってくる鷲田清一氏の言葉
原発事故の放射能被害では(わたしたちの)“見ないで済ます仕組み”こそが問われている
「これまでの東電の記者会見を見ていても
政府発表を見ていても(中略)自分では最終判断を下さない構造という意味では同じことの繰り返しでしかありません。」
「わたしたちはなぜ、信号が点ってもそれを見ないで済ましてきたのか。いつまでも変わらないその仕組みこそが、今回、むきだしになったのです。」
「壊すこと、取り払うことのできない装置があることを、このたびの(原発)事故で思い知りました。そしてその代償はあまりにも重いものでした。」

津波で海となり、原発で-放射能に汚染された南相馬市小高 2012.4)

「わたしたちは戦後六十数年のあいだにも
安心で便利で快適な生活を公共的なシステムにぶら下がることによって得た
その代償として、命の世話をしあう文化、そして、それを支える一個人としての基礎能力を、ひたすらそぎ落としてきたといえないでしょうか。」
同感。


1年後の3.11―被災地13のオフレコ話 (SAKURA・MOOK 44)

1年後の3.11―被災地13のオフレコ話 (SAKURA・MOOK 44)



希望を感じる素敵な青空と雪とこどもたちの表紙。仙台市立折立小学校仮設校舎にて撮影とのこと。仙台市役所で1000円でお求めください。
東日本大震災 1年の記録 ともに、前へ 仙台

1457夜『脱原子力社会へ』長谷川公一|松岡正剛の千夜千冊
・・精神論にあらず。・・ セイゴオせんせいが仙台に。