シャカの教えは現代に生きるか

スマナサーラ氏は聴いたり読んだりしての感想だが、まるでシャカの十大弟子のうち智慧第一のシャーリプトラ(舎利弗)のような人で、現代世界の主流の考え(競争原理など)と全く違う思想を展開する。しかし、その思想体系はかってみないほど体系的本質的であり、軽はずみな反論は不可能な明晰さを持っている。氏の『死後はどうなるの?』にみられる「転生・神々観」はにわかに理解できないものの、

死後はどうなるの?

死後はどうなるの?

「この世」の生き方については学ぶ点が極めて多い(もっともヴィバッサナー瞑想をやらないと真の理解は困難なようだ)。ただし、氏は上記書において「般若心経」については「なんの役にもたたない」とし、大乗仏教はシャカの教えではないとする。しかし、大乗仏教には思想としてのプラス面もあると思う(勉強不足で明確にできないが)。氏の方向性自体があらゆる衆生を悟りに導こうとする大乗仏教の特徴を取り込んでいるとも思う。
いずれにしてもテロや環境問題で行き詰まってしまった荒廃の現代文明に対する釈迦の思想的現代性をつかみ出し、類書にはない読みやすさや理解しやすさをも工夫する力は見事である。なお、石飛道子氏は祖先のDNAを受け継いで今日の私たちが作られたのはある意味で輪廻といえるとする。ただし、シャカの考えの根本は主体(自己)を立てると輪廻を脱することができないので、常住論と断滅論を排した中道による輪廻からの解脱とする。
http://homepage1.nifty.com/manikana/essay/reincarnation.html
もっとも、「身体」を重視しないスマナサーラ氏の考えでは高岡英夫氏の身体意識論などの最新の身体論が入り込む余地は見いだし難いし、生命科学の最先端が描く世界との整合性がとりにくいような気がする。例えば清水博氏の生命システム科学からみるとスリランカ上座仏教の思想だけでは現代世界を包括し切れないのではないか。また、現代社会で生きる思想としては、清水氏の「場の思想」、そして遍在的生命(純粋生命)論(大乗仏教空海の思想にもリンクできるかもしれない)でくるむことができないだろうか?と考えている。