「夢」「努力」・受験⇒怒り⇒「切断殺人事件」?

東京都渋谷区幡ケ谷歯科医武藤氏宅で、短大生武藤亜澄さん(20)が兄の歯学予備校生に殺され、バラバラに切断された遺体で発見された事件のキーワード(もっとありそうだが)。報道によると兄に“努力しないから、がかなわない”という意味のことを言ったのがきっかけという。異常な事件ではあるが、背景に現代日本の状況があるようだ。
この殺人のきっかけとなった「夢・努力」という現代日本人が好きな言葉、さらに背景となった受験の重圧という状況について、スマナサーラ氏の鋭い指摘がありました。
や希望で心がいっぱいになっている人は、決して幸福になれません。心が未来に引っ張られて、現実離れの状態になっているからです。
それに、夢や希望を実現させるためには並々ならぬ努力をしなければなりません。お金が欲しいという人は、今より何倍もの仕事量をこなさなければなりませんから、家族と過ごす時間も少なくなりますし、ゆっくりくつろぐ時間もなくなるでしょう。それでへとへとに疲れて苦しむのです。一流大学に入ることを目指している学生さんは、やりたいことを我慢して、毎日毎日猛勉強しなければなりません。それで希望の大学に受かればいいのですが、落ちた場合には大変な失望感と挫折感を味わうのです。このように夢や希望を持っているがために、私たちはたくさんの苦しみを味わっているのです。
そこで仏教は「今の瞬間をしっかり生きなさい」と教えています。」
日々是好日
「(ブッタは)今日のうちに努力する人の日々は好日です」と説かれています。日本では「日々是好日」という言葉でよく知られています。どうすれば日々好日で生きられるのかといいますと、過去に引きずられないこと、未来を期待しないこと、そして今の瞬間観察して正しく生きること。これで毎日を愉しく生きることができるのです。それから、今の瞬間も過去や未来と同様に、すぐに消え去る煙のようなものですから、それに囚われないことが大切です。この実践を今すぐにやってください。明日では遅いのです。今すぐやらないと明日生きているという保障はありませんから。」
・全文は「スマナサーラ長老講義」http://homepage3.nifty.com/sukha/C4_1.htm
玄侑宗久さんの「日々是好日」に共感
 http://www.genyusokyu.com/interview/kizi/journal0508.htm
 
年頭にあたり、スマナサーラ長老の『有意義な生き方─幸福に生きるとは─』より「ムダをなくす生き方」を教えていただきました(感謝)。
・「生きる目的はない」が、仏教は「この世」と「あの世」の幸福、「解脱」を目的とする。未理解
・「意に反するムダ」をなくすには
目的をしっかりとつくってイメージ・ビジョンを明確」にし、「リソースや能力」に対して計算、配慮する。
無駄をなくす13ヶ条 (※要約なので正確には本を読んでください。)
「1 自身と周りの人の役に立っているか?
2 心を汚さず成長しているか?
3 徳を積んでいるか?
4 今日は良いことをしましたか?
5 小さなことでも真剣にやっているか?
6 日々、何かを学んでいるか?
7 欲・見栄・高慢・嫉妬・落ち込み・怒りなどの感情に負けていませんか(「心の病気」)? 
 ※「欲」とは「外のものを自分のものにしたがる気持ち」
8 刺激的快楽からではなく、日常生活から充実感を得ていますか?(「刺激依存」でなく、「必要かどうか」)
(「肉体至上主義」は肉体をも壊す」「「楽」は「苦」から「苦」への移動である」)
9 資源と時間の使用を最小限にする努力をしていますか?(を知り、適度を知る)
10 怠けて手抜きをせず、活発に生きていますか?
11 全ての生命に慈しみがありますか?
12 人生は再生できないことを理解しているか?
13 興奮・混乱・緊張より落ち着いて心が平安である状態が幸福と理解しているか?」
「感情」は「煩悩」(スマナサーラ)
次は
俗世間の生き方を超える8戒
(●戒律を守るとは「道徳的生き方」であり、知恵が生まれる。●は「根本仏教講義」より補足)
「①不殺生をもって、殺生を止める(●「怒りがでてくると殺生につながる」)
②与えられたもののみを得て、盗みを止める(●欲を小さくして、少量の資源で生きる)
③事実を語り、ウソは止める(●精神力の強い人が作れる)
④噂話は止める
欲に執着することは止める
⑥非難、誹謗を止める
⑦憎しみや恨みを止める
⑧謙虚をもって傲慢を止める」
形だけ守るのではなく、その「気持ちも消す」のがポイント。
まとめ
弱者を切り捨てる「欲、つまり肉体(体への刺激=感覚)至上主義」を捨てよ
順番に「執着を捨て」て「一切の生命に慈しみを持つ」ことが「有意義な生き方」

有意義な生き方―幸福に生きるとは? (お釈迦さまが教えたこと)

有意義な生き方―幸福に生きるとは? (お釈迦さまが教えたこと)

できるかなー
※いわゆる五戒は①〜③+「四、淫らな行為はしない。五、酔わせる酒・麻薬類は使用しない」なのですが。
実は本書の冒頭に、人間の生きるべき正しい道として、ブッダの「八正道」が示されています。解説はないので(スマナサーラ長老の次著で展開されるのだろうか?)、「根本仏教講義」(日本テーラワーダ仏教協会)から一部を記しておきますが、ぜひ下記HPより全文をお読みください。
生きるべき8つの「正しい道」
1『正見(しょうけん)』「正しく四聖諦を見きわめるという意味ですが、これは非常に誤解している人が多いのです。ありのままに見るということには違いないのですが、(中略)ふつうの人はありのままとは、自分の好き勝手に見るというふうに思うのですが、人間はありのままには物ごとを見られないのです。森羅万象のものはすべて刻一刻変化しているのですが、人間はそう思いたくないのですね。」「人間というのは、道具にしてもそうですが古くなってほしくない、変化を嫌うのです。」「つまり無常ということを認識して見ていかなければいけないのだというのが正見の基本です。ですから、私たちは正しい見解を持っていないのです。今の世の中を創りだしているのは、正しい見解ではなく、すべての物ごとは存在する、私も存在するという立場で創っているのです。」
2『正語(しょうご)』「端的に言えば正しい言葉づかいということです。しかし、ここでも、では何をもって正しいかということになりますが、人間のためになる言葉、平和で調和のとれる生活ができる言葉づかいということになるでしょう。真実をつたえる言葉といっても間違いはないのですが、時として真実を言うことは相手を傷つける場合もありますから、話をしたり文章で伝える場合も、その言葉が人間を幸福にするという認識でされなければ、意味がありません。」
3『正業(しょうぎょう)』「正しい行いということですが、この場合も殺生をしないとか、人のものを盗んではいけないなどと解説書にありますが、そう狭義にとらずに他人の迷惑にならない、生命の妨げになることをしてはならないというふうに解釈したほうがいいでしょう。
4『正命(しょうみょう)』「これは仕事のことと思っていいでしょう。私たちは生きるために何かしらは働らかねばなりませんが、その場合、自分の職業や仕事が何か人間の命に貢献するものでなくてはいけないわけです。毒を作ったり、武器を作ったりする職業は仏教では禁止しています。ですから仏教とでなくとも釈迦尊の教えを学ぼうとするのであれば、職業にも神経を配る仕事をしてください。」
5『正精進(しょうしょうじん)』「正しい努力をする。ふつうの努力と違って仏教では自分のいま持っている悪いところを消すための努力。また未だやったことのない悪いことをこれからも絶対にしないための努力、いけないことはこれからもしないという努力、さらには自分の持っているいいところはこれからもどんどん伸ばしていこうとする努力、また今までしなかったいいことをこれからは積極的にやっていこうとする努力、努力にもこうした四つの努力の道があるのです。精進とは、いい人間になるため、より立派な人間形成への努力ということになるでしょう。」
6『正念(しょうねん)』サティを実践すること。「原語でsamma-sati と言って、サティ とは気づくという意味です。何に気がつくのかというといまの自分に気がつくということです。瞬間瞬間の自分に気づくことなのですが、自分に気がつくためには精神統一をしなければなりません。」
7『正思惟(しょうしゆい)』 「無害心、無瞋恚、無貪欲の三つがあって、(中略)考える前にまずその考えなり研究が、人や生きもの、自然を害さない、そういうものの命をまもることを念頭におかなければならないということです。
生きとし生けるものに対して、どうすれば助けられるか、どうすれば慈しみを持って考え方を発見できるかということです。これが無害心です。
無瞋恚は怒りのことです。怒るということはだれもがいけないこととわかっていますが、人間は時として、例えばスポーツなどで相手を憎んでその怒りで闘うというように、怒りを支えにして頑張ることかありますあるいは木を伐採するときなんか、その木が邪魔だからと言って伐ってしまったり、悪い虫だからといってすぐ殺してしまったりしますが、そういうことはいけないと教えるのです。怒りの基は、結局自分のしたいことを邪魔されるから怒る、つまり底に欲望というものがあるのです。もちろん人間がこの世のなかを生きていく場合には物というものが必要になってきますが、(中略)際限なく欲望をつのらせてしまいます。貪欲というのは余分な欲という意味ですから、その余分な欲のために人間は大変な苦労や悩みを背負いこんでいるのです。」
8『正定(しょうじょう)』禅定「落ち着き、集中し、統一する」「つまり、精神統一の状態で自分に気づく。」

全文⇒根本仏教講義(日本テーラワーダ仏教協会HP)
http://www.j-theravada.net/kogi/index.html
スマナサーラ長老の書いていることはほとんどが現代日本人及び欧米人の「常識」に反するものが多く、小生の未熟の故、未だ理解できない点も多いのですが、それらの現代人の「常識」が本当に正しいかを考える契機として素晴らしいと思います。