季刊東北学29─東北の海 東日本大震災②

「大震災の津波は東北太平洋岸の町や集落を破壊し、多くを奪い去った。だが、海岸線に生きる人々は、いかなる貌の海も引き受けて生きてきた。」

季刊東北学 第29号 特集:東北の海
津波から七か月を経て、あえて海を見つめる「東北学」を高く評価したい。

村道雄「宮戸島の縄文文化に学び震災復興を考える」
・島民:「貝塚史跡公園は救援のヘリの発着場としても役立った」
 「祖先やその歴史に教えられて我々は助かった」
・「三陸海岸貝塚約四百八十か所は、浜辺の製塩など生産遺跡を除いて津波は到達しなかった。
縄文人は高台に住み、海に向かう崖から海産物ゴミを捨て・送り(貝塚)、海辺で海水を煮つめて塩を作り、入り江で魚を獲り、貝を採って剥き・干し貝を作っていた。」
・「自然を科学で征服・制圧するのではなく、柔軟に自然と調和して共に生きる姿勢が基本だと思う。」

川島秀一「浸水線に祀られるもの─被災漁村を歩く 上」
津波の際に話題となった津浪記念碑などの浸水線に祀られるものを概括したもので大事な文献。例えば室浜のお地蔵さんは、土台を今回の津波にえぐられていましたが本来もう少し下方にあったという地元の方のお話もあり、一つ一つ検証していく必要があると思う。

宮戸島室浜 左隅に津浪が裾まで来た地蔵さん 右に室浜貝塚上の仮設住宅
集落は、それより上にあったと推定されている。


室浜の海辺の現集落地。津波で甚大な被害を受けた(9月のようす)。


(大津波の被災状況とお地蔵さんの位置 グーグルアースより)


宮戸島室浜のお地蔵さん - JIEN記 わいわい収穫祭
野蒜海岸の今 - JIEN記
国史跡里浜貝塚からのメッセージ - JIEN記

・おまけ
震災の後、貝塚に行った話