慰霊と再生の塔─わが塔はここに立つ


(がれきの中から掘り出され、再建された十字架)
仙台市宮城野区蒲生(がもう)には、江戸時代(慶長地震(慶長16年(1611))後?)から3.11大震災一年後に至るさまざまな慰霊(江戸時代には「供養」という言葉が一般的だと思いますが)と再生を願う塔が立っていました。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110422/art11042214370007-n1.htm

新年度 ほとんど震災の傷が見えなくなった中心部から、浜に向かう。
お地蔵さんの右手は東日本大震災慰霊碑、左は中野小学校

         (左、七北田川 津波でぐにゃぐゃになったガードレール)
相川哲弥氏のHPによると「海岸から約1.2キロの中野小(宮城野区)には、地震直後から多くの地域住民が体育館や校庭に集まってきた。複数の住民によると、「津波だ。上がれ」という声が上がり、大勢が校舎屋上に逃げたが、体育館内には伝わらなかったという。 近くの高橋孝蔵さん(72)は「津波が体育館をのみ込んだ。体育館や校舎脇の車にいた人の中には、犠牲になった方がいるだろう」と肩を落とす。」  合掌


東日本大震災慰霊の塔


お地蔵さんから、行く手の蒲生を望むと建物の土台と荒野が広がっていました。

相川哲弥氏HP


蒲生の浜近くに至って、中野小学校方面を見る。人影なし・・


蒲生干潟は、仙台では自然がかろうじて残されたところでした。

(遠くの砂州に海鳥の群れ!)
少しずつ環境が戻ってきているような気がします。

http://www.city.sendai.jp/kensetsu/ryokka/midori100/guide/048/048.html
仙台湾岸の湿地の状況を見てきました: H.Hiraizumi's Birding Page What's New


  (グーグルアースより)

これが蒲生地区の現状。復興いまだ遠し。


日和山は、どこ!・・・

日和山に鎮座した神社の鳥居でしょうか・・・
http://tohoku.env.go.jp/blog/article.php?blog_id=1348
東日本大震災による湿地への影響まとめ



海辺の宅地にも慰霊の塔が立っていました。 合掌


震災から1年あまりのこの光景に、言葉が出なくなってきました。
(写真クリック→KMLクリック)

                         (グーグルアースより)
 


これは救われる光景! 新しい旗と小さな社 高砂神社
本家?の高砂神社からの支援と聞く。


・とても参考になる、ひとめぼれさんのブログ
津波被害 仙台市沿岸部の神社まとめ | 仙台の神社たち


境内に江戸時代の「南無阿弥陀仏」などの碑

享保三年(1718)の「男念仏」碑。男たちの念仏講なのか。

何十人もの男たちの名前が刻まれている。
蒲生村には、近世前期、七北田川が流路変更になり、港が整備されていった。
舟入堀が造られ、舟溜り、米蔵、塩蔵などが造られ、町場ができたという(『仙台市史』)。このような町場の形成と関係しているのかもしれない。


「殉職宮城県巡査 宮澤式良氏之碑 宮城県知事..」と背後の荒涼たる風景

明治14年、この地で賊の刃に倒れた宮沢式良氏は、『続地元学』(みやぎの区民協議会)によると、仙台藩家臣の長子にして武人であったが、高砂神社をねぐらとする凶賊藤田熊吉に小刀に胸を突かれ、賊を捕縛するも絶命の由。昭和6年になって地元の篤志家、鈴木長三郎によって碑を建立とのこと。
明治15年「宮城人物見立一覧表」に「薄命人」とありました。


傷だらけの狛犬にも再生の意気を感じました。

http://www18.atpages.jp/tatu0506/si017d0w.htm
かっての神社の様子が分かるHPを見つけました。有難うございます。
http://archive.shinsai.yahoo.co.jp/entry/60978/?sy=2011&sm=12&sd=8&ey=2011&em=12&ed=8&s=7



赤坂憲雄氏により「廃墟のなかに現われた「霊場」のひとつ」として紹介されたところ(『東北の震災と想像力』他)です。
地主さんにお聞きしたところ、3.11大津波で家屋敷すべてを流され
避難所から通って、庭に置いていた灯籠やコレクションを周辺から回収しているという。
したがって、一般的な意味で「霊場」とはいいにくいと思います。
地主さんによれば「もう住めないとされたところ」に自らのコレクションを並べたいること、その方にとっての「霊場」であるかもしれませんが
少なくとも、新興宗教的な展開とは違うと思います。
避難所で「あすという日が」を聴いたというおじいさんでした。


周辺に人の姿は、ほとんどありませんでした。



蒲生の震災前後(せんだいメディアテーク展示より)            

仙台市科学館[自然史研究]    

     


                 合掌