志津川・大雄寺にて


 残暑の中に“志津川の今”が見えました(大雄寺墓地より)。


 大雄寺(南三陸町志津川田尻畑)の参道付近にて

   (グーグルアースより)
津波は、寺からさらに1km以上さかのぼったようです。

知る人ぞ知る南北朝時代の大型板碑は、津波から逃れたのでしょうか。
鬱蒼たる参道の杉並木は亡くなって残骸と斜面に名残の杉..

津波は江戸時代に建てられた山門の近く、階段上端近くに達したとのことでした。
首のない像は、付近からボランティアさんたちが拾い上げてくれたそうです。

家々は津波に流されて..残った杉も塩害のため伐採(切株)。
門前にたってたという南北朝時代の板碑もそこにはありませんでした..

聞き書きプロジェクト "MEMOKKO": 志津川の古刹、大雄寺 
大雄寺(宮城県南三陸町志津川)- 日本すきま漫遊記

手前の参道(草が生えているところ)が江戸時代以来の杉並木跡・・・
樹齢300年、約80本。
http://www.m-kankou.jp/alacarte/index.php?id=54

お寺の向かいの朝日館跡。藤原高衡伝説があります。


驚いたのは、その最後の領主、葛西氏一門の本吉大膳太夫の墓碑がありました。

一帯は、大雄寺の広大な墓地。お地蔵さんは木陰にいらっしゃいました。

大雄寺様には、突然の訪問にもかかわらず、たいへん親切にしていただきました。心から御礼申し上げます。
古来、天台宗の寺から、戦国時代に曹洞宗の寺として中興してこの地に来たという由緒の大寺が南三陸の復興の底を支えているような氣がいたしました。
http://www.m-kankou.jp/alacarte/index.php?c=8
http://tsunagari-nukumori.jp/archives/341
それにしても・・津波とその後の塩害で伐採せざるを得なかった杉並木のことは残念でした。
http://www.minamisanriku.eco-pro.ne.jp/campaign/vol2_daioji.php
北國新聞社 | ふるさと不足に読んで効く
立ち枯れの木で幼稚園が再建されたとのことです。
北太平洋岸の多くの社寺でこのような事態になっていることを改めて実感しました。
続 南三陸町志津川 大雄寺の杉並木 | モモナシ(桃梨) 上村美保子オフィシャルブログ
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20110331_31.htm