古代東北の城柵と災害+奈奈子祭の餅

第39回古代城柵官衙遺跡検討会(東北歴史博物館 二日目)
雪模様の日、全国から多くの研究者が参加しておりました。

調査成果と討論から、古代の城柵跡には、大地震など自然災害の痕跡は、希薄であるようでした。自然災害は城柵に決定的なダメージは与えていない旨のまとめ的見解もありました。
しかし、払田柵跡(ほったのさくあと 秋田県大仙市)では9世紀中頃の地震によるとみられる築地塀・石塁の大規模な倒壊跡と改修が明らかになっていることは、重要です。
払田柵跡 第2回考古学セミナー資料
討論をうかがいますと、史料には古代の大地震が散見することから、東北の諸城柵では、蝦夷との緊張関係からその機能を保つため、むしろ迅速な修復が行われていたと考えられます。
おそらく、今回の震災を契機に、災害痕跡のみならず「修復痕跡を探る」という明確な問題意識で発掘調査していけば、これから各所で確認される可能性はあると思います。
最後にSm氏が鋭く問題提起したように、国分寺など城柵以外の公的施設の様相をおさえるともっと多くのことがわかってくるとと思います。例えば陸奥国分寺では、貞観十一年陸奥国地震、いわゆる「貞観地震」被災の記録は史料に出てきませんが、陸奥国分寺跡の発掘調査によって、貞観地震後の大量の瓦の廃棄跡が明らかになっていることから被害は甚大であったと考えられています。さらに、近年、貞観地震後の可能性がある梵鐘鋳造遺構などが調査されているので併せて検討していけば、貞観地震による被災と復旧・復興の様相が、より明らかとなるないかと思いました。
それでも生きる 考古学からみた災害のあと 地底の森ミュージアム
http://www.47news.jp/photo/322517.php
また、Sh氏の集落跡の調査からみた津波の到達範囲の指摘や研究史に関する問題提起も重要でした。そして、文献の鈴木琢郎氏(宮城学院女子大学)の史料整理により、論議となっていた津波多賀城の町並み(方格地割)に達していたかに関わる「(津波は)たちまちに城下にいたり」の「城下」も「多賀城を中心とした広範な領域」と解釈されるなど門外漢にとって勉強になりました。感謝。
今後、多賀城の方格地割を中心に分布する9世紀の「黒褐色堆積層」など津波堆積層の可能性ある層の自然科学分析が進められると文献との照応により古代における自然災害とその対応の様相が明らかになると思いました。。
9世紀火山地震(5)ーー貞観地震: 保立道久の研究雑記
貞観地震・津波からの陸奥国府多賀城の復興:柳沢和明
東北地方における自然災害の様相とその対処のあり方が解明されるための有意義な大会でした。

付け足しですが、火山灰堆積物、洪水的堆積物の重なりをみますとこれらの連動による連鎖的災害が起きている可能性を感じます。この間隔が狭ければ、より大きなダメージになったことでしょう。発掘調査と諸科学との連携によって解明されていくと思います。
このような最新の調査・研究成果によりまとめられた「東北古代の災害と社会」についてぜひ、防災の見地からも市民向けの報告会(古代城柵に限定しない)が開かれることを期待したいです。

【関連基本データ】
NHK そなえる 防災|コラム|東日本大震災の津波を考察する
お知らせ | 宮城県多賀城跡調査研究所
城柵の役割
城柵 - Wikipedia

・この日、行きたかった催し 奈奈子祭 釜石市箱崎白浜で行われた「奈奈子祭」に行ってきました。朝六時吹雪を突いて無事到着めくるめく芸能大会 okuderazeki/ウェブリブログ


なんと! あの奈奈子祭で山の神がまいたお餅が届きました。
ご盛会の由 お慶び申し上げます。
blogとりら

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[報告・郷土芸能復興支援プロジェクト]奈奈子祭:釜石の民家で演じられる神楽や虎や鹿を観て復興支援!-Re:Discovery Japan 〜 公益社団法人 全日本郷土芸能協会