母なる空海

もっとも、私としては全国に拡がる弘法大師信仰はこのような高等な世界ではなく、最も実効性のある救済とプロパガンダがなければ成立し難いものと思う。その点、五来重が仏教民俗学の視点から、空海が京都に本拠を持つ官度僧学侶と高野山開創から支えてきた山人(狩人)の私度僧行人の二階級のうち、後者の伝承を10世紀後半に公表されたことを指摘したことは弘法大師信仰を理解するうえで重要である。そして空海の思想そのものが「森の宗教、山の宗教としてあらわれている前国家的で非都市的な思想を自分のアルファでありオメガである不動点」とした中沢新一の指摘に回帰する。つまりは山と海での行を通して感得した宇宙的存在エネルギーをコトバとして後世に伝えるとともに、人々の救済にこそ、最後のエネルギーを注いでいった空海の行動が死後の弘法大師信仰を産み出した原動力と考えている正剛先生は「母なる空海」と表現した。(060618加筆)
虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きん。
虚空がつき、救いを求める人々の願いがつき、悟りの境地さえつきてしまうならば、その時、はじめてわたしの願いもつきるであろう(安藤礼二空海入門」の結びに加筆)

空海の足跡 (角川選書)

空海の足跡 (角川選書)

その後の展開として、12世紀前半、真言宗中興と位置づけられる覚鑁(かくばん)は、当時、隆盛であった浄土信仰と真言宗を合体する。その中で現代まで続く、「納骨」が生まれてくる。その普及の主体となった高野聖の精神的支柱が覚鑁であった(安藤礼二 「放浪する神人たち、つまり高野聖」『空海』)。もっとも「納骨」のメカニズムについては分からないことが多い。
空海伝説の形成と高野山―入定伝説の形成と高野山納骨の発生

空海伝説の形成と高野山―入定伝説の形成と高野山納骨の発生

 
増補 高野聖 (角川選書 79)

増補 高野聖 (角川選書 79)

そういえば、大乗仏教を批判するスマナサーラ長老ですが、「釈迦「生誕」によせて」で書いたように世界は「振動する」「ネットワーク」という氏の認識自体は空海の認識と通底するのではないか、と思うがいかがでしょうか?
無常の見方 「聖なる真理」と「私」の幸福    お釈迦さまが教えたこと1

無常の見方 「聖なる真理」と「私」の幸福 お釈迦さまが教えたこと1

空海の生きた山と海のイメージは『空海の歩いた道』などで偲ぶことができます。
空海の歩いた道―残された言葉と風景

空海の歩いた道―残された言葉と風景

宗教界というより、あらゆる分野の先鋭に注目される空海、とっつきにくい人には、あのジョージ秋山の「弘法大師空海」もいいです。夢枕獏の本に載っています。
空海曼陀羅

空海曼陀羅

もし、空海が現代に生きていたら、アストロバイオロジーや統一場理論を修めて、全く違う形を作り、そして「大日如来」ではなく別の表現を用い、「世界共和国」をめざす現代人向けのプログラムを作ったかもと夢想する。