空海の夢

わたくし的には、マルチ読書人・「世界」を編集する人、松岡正剛の『空海の夢』という素敵な書名の、「空海の計画がどのように今日にリンクしうるか」という視点から書かれた本を読んで、空海ははじめて、すごいと思った。例えば「自身をインドラ・ネットワークの帝網に拡張していくこと、その帝網にの各点に輝く鏡像に自身を相互共映させること、それが空海の即身論だった」というのには現代のネットワーク論に直結して身震いしてしまったものである。
氏は曼荼羅は「組合せの表象」であり、ホロン(全体子)をキーワードとして、ホワイトヘッドの「一個の有機体はそれが存在するためには全宇宙を必要とする」を引用し、マンダラのイコンのひとつづつがホロンであったということこれこそが空海がわれわれに示そうとしたとする。また、密教の歴史的には「攻守の要訣設計図」でもあった。
・正剛先生の語るホワイトヘッドhttp://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0995.html

ホワイトヘッドと西田哲学の“あいだ”―仏教的キリスト教哲学の構想

ホワイトヘッドと西田哲学の“あいだ”―仏教的キリスト教哲学の構想

空海は「想像力と因果律の宥和」を確認しきり、「生きてあるものと死んである者との間における共有まで進み」「生命の海」をもつことを「即身」とみたという。それは初めての日本のマザープログラムの試みであったとする。
空海の夢

空海の夢

正剛先生の解説
http://www.eel.co.jp/03_wear/02_selfread/kukai09.html
岡野守也はマンダラ・コスモロジーを日本人のなかば無意識的な「和」の心を長い間、ひそかにしかし深いところから支えてきたとし、原始仏教を宇宙全体のダイナミックな働きの原理にという明るいニュアンスに変容・発展させたと評価した。中村雄二郎オクタビオ・パスの「リズムはわれわれのすべての源泉」と空海の「五大にみな響きあり」を引いて「哲学が究極にめざすべきは生命のリズム、宇宙のリズムとの一体化」とした。
空海の『十住心論』を読む

空海の『十住心論』を読む

 
新版 哲学がわかる。 (アエラムック)

新版 哲学がわかる。 (アエラムック)

中沢新一は沙門空海密教の先を見ていたともいうし、安藤礼二はアジア哲学の構築には空海真言密教がつかえるとし、空海の「空」は「そこからあらゆるものが発生してくる潜在的多様体、はじまりの「空」」であり、さらにこれを「一」として思考するものと捉えた。前田英樹スピノザの「潜在性」そして「神ながらの道」に通じるものを見出す。1200年前の人から現代の先鋭たちが引き出すエネルギーはすごいものがある。このことをよく示すのが、安藤礼二が宮崎忍勝の指摘を受けて「「心」を「空」と観て、さらにそれを「海」に展開させること」という思想を結晶化したのが空海の名であり、「「無常」と「空」を生き抜き、さらにはそれを光と華の曼荼羅へ変えようとした」という小気味よい「空海入門」を含む『空海 世界的思想としての密教』という本である。
空海 (KAWADE 道の手帖)

空海 (KAWADE 道の手帖)

井筒俊彦は「意味分節理論と空海」で真言密教の中核を「存在はコトバである」という現代一般常識と異なる命題を立てた。そして意味分節理論を用い、言語意識の深層には「遊動する「意味」が「存在喚起的エネルギー」として働いている」とし、それが「創造的エネルギー」として「実在感覚」として現われるとした。それは8世紀のイスラムのファズル・ッ・ラーのアッラー、『荘子』の「天籟」(天の風)という「声」、陰陽の気として捉えた易などその「根源的感覚」をどう理論化するのは多様であると整理した。したがって、その「声」、(むしろ「響き」と云った方が分かりやすい)の「究極的源泉」である「存在エネルギー」を「大日如来」(法身)という名にこだわらなくてもよいわけで、この方が現代人には分かりやすい。
意味の深みへ―東洋哲学の水位

意味の深みへ―東洋哲学の水位