『消えた第六天』━に寄せて

ネットで見つけ、早速、購入一読。藤縄勝祐氏の丹念な調査と民衆の神への思いに好感。我流に解釈すると【戦国期、織田信長が「第六天の魔王」と称し、武田の旧家臣たちが相模川沿いに、後北条家旧家臣が丹沢に、さらに縁者によって常陸・東北の一部に広がった。やがて徳川幕府の安泰とともに、民衆の願いに沿って福神になり、「六番目の神=面足尊」などとされた。しかし、平田篤胤ら振興した国学の認めるところとならず、さらに明治の「神仏判然令」に抵触するとみなされて社名・祭神の変更をよぎなくされ、維持基盤としての修験道の廃止、神社合祀令により多くが消失した】とする。関東主体の第(大)六天の性格と推移がこのようなものであるとすれば、女川の大六天は漁業神であり、海幸彦・山幸彦神話と関わる点、さらに護良親王伝説とも関わる可能性がある点、特異である。このことは当該地が戦国時代を通して葛西氏が領有し、南北朝期には奥州において南朝を支える一大勢力であった記憶と誇りが、支配者や修験者により付加された可能性を指摘して、とりあえずのまとめとしておきたい。
『消えた第六天』http://necom.cool.ne.jp/book0017.html
でも、本当はどうなのだろうか? あの、金太郎こと静岡出身(神奈川県に近い)の坂田金時(平安時代)の信奉するのも第六天というし...また、課題ができてしまった。(070122付記)。
坂田金時(ウィキペディア)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%A4%AA%E9%83%8E
・金太郎のふるさと(小山町観光協会)