2007-01-16から1日間の記事一覧

山倉大六天─「疫の神の、荒び来て」修験のつくる特効薬

『修験がつくる民俗史』(菅豊)より修験がつくる民俗史―鮭をめぐる儀礼と信仰 (日本歴史民俗叢書)作者: 菅豊出版社/メーカー: 吉川弘文館発売日: 2000/09/01メディア: 単行本購入: 1人 クリック: 8回この商品を含むブログ (2件) を見る先にふれた千葉県香取郡…

『消えた第六天』━に寄せて

ネットで見つけ、早速、購入一読。藤縄勝祐氏の丹念な調査と民衆の神への思いに好感。我流に解釈すると【戦国期、織田信長が「第六天の魔王」と称し、武田の旧家臣たちが相模川沿いに、後北条家旧家臣が丹沢に、さらに縁者によって常陸・東北の一部に広がっ…

護良親王━大六天

『坂道散歩』という濃密な素晴らしいHPを見つけまして、その中の「相模原市の坂−8」の「第六天坂」と護良親王が暗殺されずに石巻に逃れたという興味深い伝承が紹介されておりました。【縁切榎という所に淵野辺義博の伝承があり、義博は足利直義の命で護良親…

水運の要衝を囲む神仏の配置

『山岳信仰の山』というHPの「宮城県の山」の大六天山の項には、梵鐘に祭神「彦火火出見尊」とともに「牡鹿の開拓神」と書いてあったという(第二次大戦で供出再鋳造したのが現梵鐘)。 彦火火出見尊と第(大)六天との接点は箱根神社の祭神が彦火火出見尊で境内…

彦火火出見尊伝説━護良親王伝説

(彦火火出見尊「雄勝法印神楽」) 『宮城県の地名』によると女川町横浦とともに共同で祭礼を行なっていた針浜は『風土記御用書出』によると、元弘─建武の頃(1331-36)後醍醐天皇の皇子が左遷された際、彦火火出見尊の旧跡を移し、彦火火出見尊(山幸彦)が兄の釣…

大六天の謎

伝承によると仁和元年(885)に僧全圃が大六天山三国寺を創建したという(『石巻の歴史1』)。『風土記御用書出』(1722年)には神功皇后の「三韓征伐」の後「干珠満珠の霊徳」を勧請したとしている。海上から金華山同様、漁師や船乗りの目印になっている。現在は…

大六天山

次は牡鹿半島の大六天山(半島では尖端の金華山に次ぐ440m 女川町)、欲界の最上層に住む「他化自在天」の大六天魔王の山かと不安と期待。 まず、昨年10月6日に左手の出島付近で急激な低気圧で遭難した、第7千代丸遭難者に黙祷。 (女川湾図) 軒並み大木が倒れ…

上品山

久集比奈(くすひな)神社の鳥居をくぐって上品山(じょうぼんさん 467m 浄峰山とも)に登る。浄土を願う修行者の最高ランク(三種)を「上品」ということから霊山としての期待が高まる。 山頂付近から万石浦(古来「奥の海」といわれたという)と太平洋を望む。素晴…

石巻・女川聖山行─大六天と彦火火出見尊の出会い

(上品山より万石浦、大六天山方面?太平洋を望む) 冬の最中なれど暖冬で例年になく雪もない。晴れて、念願の石巻方面の遺跡・聖地・聖山を歩くことができた(1月14日)。 (「山幸彦」こと彦火火出見尊)