伊去波夜和氣命神社─光に向かって


津波にかしいでも踏ん張った境内の八雲神社

                         (グーグルアースより)
一帯は、東日本大震災による津波で甚大な被害を受けました。


「いこはやわきみことじんじゃ」と読みます(石巻市大宮町)

りっぱな道祖神さまが迎えます。


通称「明神社」
地震が来たら おみょんつぁんさ登れ”
地震が来たら明神社に登れ”が地域の人々の合言葉だった
押し寄せた津波のガレキが周囲よりやや小高い境内の松で止まり、拝殿など神社の建物を守り、拝殿に避難した地域の方約250人の命が救われた。
「境内だけでご遺体11体、神社から海側への道路で200名のご遺体が見つかりました。」
そして
「震災から約2ヶ月の後、5月5日の祭りの日に、ガレキに埋もれていた桜から花が咲きました。」
(『光に向かって 3.11で感じた神道のこころ』後述の川村一代さんの本による)
伊去波夜和気命神社 伊去波夜和氣命神社 (石巻市大宮町)
宮城県神社庁


浜から神社を観る。

一帯は、津波の傷跡が深く刻まれている。中には、修理や新築をして復活の兆しも感じる。

  (長浜から海)

神社近くの長浜のようす。

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光に向かって: 3.11で感じた神道のこころ
川村さんの本によれば宮司さんの人徳により全国から2000人ものボランティアが瓦礫撤去に駆けつけたとのこと。
そして
「「みこしは今年は見られないのですか」。毎年恒例の祭りで人を呼び戻そうと大国さんの背中を押したのは、住民の何げない一言だった。
 神社の片付けを手伝っていたボランティアも「祭りで人と人とをつなげましょう」と賛同、輪投げを手作りし大道芸人のショーを開いてくれた。一度は石巻を出た人、いまも避難所生活を送る人...。800人を超える人が集まり、大人も子どももひととき、震災の苦労を忘れ夢中になった。
 大国さんは宮司として街の復興を祈願した。これからもずっと見守っていきたい、それだけしかできない、それだけはしていきたい。「宮司が神社を離れればただの人。人が戻れば街は復興する、祭りがその第一歩になってほしい」
(2011年5月3日 共同通信社下記記事より)
http://www.kyodonews.jp/feature/news04/post-83.html
http://gambappe.ecom-plat.jp/?module=blog&eid=10683&blk_id=10030
川村さんの本では、(伊去波夜和氣命神社からいったん離れて)陸前高田市月山神社・今泉天満宮での項、東京大空襲を経験したお婆ちゃんが避難所でご飯を食べながらした話が心に残った。

仙台市戦災復興記念館 仙台空襲)

「戦争と津波とどっちがいいかなと考えたら、津波は全部を持っていったけれど不安は一瞬だった。今の世の中だから、自衛隊さんが来てくれたり、全国からボランティアさんも来てくれて、何不自由なく過ごせている。けれど戦争はボランティアもいないし、焼け野原だし何もないし、毎日毎日、いつ殺されるかと不安がずっとあった。戦争が終りみんなが泣いていたときに、「これで助かるかもしれない、不安から逃れられるかも」と思った。だからね、戦争からみれば津波のほうがずっといいもの」


                   (仙台市戦災復興記念館 仙台空襲)
http://www.stks.city.sendai.jp/hito/WebPages/sisetu/sensai/index.html


                   (陸前高田市 天神の大杉2012.3.11)
川村さんの結論の一つは
「日本の伝統的な地域のつながりの中心に神社がある、ということ」。
高知県の神社の神職を務める筆者が取材した東北地方沿岸部の宮城県山元町から岩手県陸前高田の8神社の地域は、日本全体からすれば今や、コミュニティの強さにおいて稀有な地域を代表しているともいえる(もちろん他にもたくさんある)。
大震災により、その地域の結びつき助け合いの価値が「未来への宝」として大きく輝いているといえる。実際に現地を訪れてそのように感じた。
一読をお勧めしたい。重いケガから復活した、シギー吉田さんの写真も見事。
http://healingforest-kazu.de-blog.jp/blog/

伊去波夜和氣命神社の入口に掲げられた宮司さんのメッセージ


境内の松に守られた神社で、こどもたちが元氣いっぱい相撲をとっていました。
この明るい雰囲気に 「光に向かって」の川村さんの本の題を思い出して本日の副題といたしました。
本書での意味深い言葉
神道の「中今」という言葉は、「「今、自分の中心に存在し、ここに在ること」の大切さを伝えます。」
「死は生の一環である」


まもなく行われる八雲神社のお祭りに向けたこどもたちの相撲のようでした。
そういえば八雲神社の神様は牛頭天王さまでしたね。
八重垣神社もそうでした。素戔嗚尊も河童も登場し、日本の神は変化(へんげ)していきます。以前、読んだスサノオ七変化を思い出しました。

荒ぶるスサノヲ、七変化―“中世神話”の世界 (歴史文化ライブラリー)

荒ぶるスサノヲ、七変化―“中世神話”の世界 (歴史文化ライブラリー)

下記の荏(えばら)神社などのお祭りを見ると、江戸時代に関東から伝播した神・祭りなのでしょうか。龍神ともリンクしています。
http://sinagawasigen.jp/kanko/view.cgi?mode=find&no=417
荏原神社-三大祭り
全国の天王祭には載っていませんでしたが、興味深いデータです。
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津島神社 夏祭り


                         (長浜から 美しき海)
宮司さん“海よ ありがとう・・・その感謝の言葉を伝える場所がないから、古代の人たちは、その代替えとして、感謝の気持ちの発露として神社を建てて、「ありがとうございます」と祭りを行ってきたんです”(『光に向かって 3.11で感じた神道のこころ』より)


御礼
伊去波夜和氣命神社を、川村様のご著書の縁にて訪れることができました。そして、思いもかけず宮司様に御挨拶ができ、氏子の方ともお話ができて有難い日となりました。お忙しいところお相手をしていただいたこと厚く御礼申し上げます。

(トップの傾いた八雲神社の屋根から光へ)
「私たちは、今回の震災で犠牲となり亡くなられた御霊を鎮魂し
悲しみも絶望も受け入れながら
涙し怒り途方にくれたとしても
生と死を慈しみ抱きしめながら
光に向かい今を生きていくこと。
それが生きている私たちに与えられた使命ではないかと思うのです。
・・つながりながら、「今」ここで生きる。
生かされていることに感謝し「今」を懸命に生きる。
それが神道の「中今」の心なのだと思います」
(終章「旅の終わりに」川村一代)
以上は、本書のほんの一部です。ぜひお読みください。

光に向かって: 3.11で感じた神道のこころ

光に向かって: 3.11で感じた神道のこころ

【データ】
東日本大震災から1年─陸前高田の希望の樹へ - JIEN記
津波湾・中浜小・ジオパーク─地球との共生へ - JIEN記

【歴史メモ】
宮城県の地名』によると、万石浦西岸の砂州に立地する渡波(わたのは)地域は天文年間(1532-1555)、まず、万石浦の南岸において肥後浪人佐々木肥後による祝田浜の開発が始まり、後に葛西氏の命で渡波に再移住とあります。一方、『石巻の歴史1』(石巻市)によると葛西大崎一揆葛西大崎一揆 - Wikipedia、葛西氏滅亡により葛西氏家中が浪人となり、江戸時代初期(元和年中(1615-1624)居住の氏家隼人など)に、当時「勝手次第住居」とされていった当地を開発していったとしています。神社の伝の「300年くらい前」と概ね合うようです。
宮城県の地名』によると本社は、石巻市水沼の伊去波夜和氣命神社(祭神 鹽土翁命)からの勧請説で、万石浦の塩田創開を契機とするものかとしている。
流留・渡波塩田: みちのく遠島物語
古稲井湾奥に位置する水沼には奥州藤原氏が渥美から招聘したとされる12世紀の水沼窯があり、由緒のある地なので可能性があると思います。ただ本社のご祭神である猿田彦命などとは符合しないので謎があります。
実は、『石巻の歴史1』には、宝亀四年(773)に伊具波夜別神に神封が与えられた記事を紹介し、式内社の「牡鹿郡の伊去波夜和気神」をあてています。この地域を支配下におこうとする律令国家が地主神を顕彰したと理解されているようです。1 東北「海道」の古代史(平川南) - JIEN記
ただし、この比定は確定しているものでもないようです。
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一つの可能性として、水沼にまず鎮座した伊去波夜和氣神は、奈良時代には牡鹿郡の神として存在していたこととなるのかも知れません。
ほぼ同じよみの神様がいらっしゃいました。
垂仁天皇(11代)の皇子・息速別命(いこはやわきみこと、池速別命)が病弱のため皇位継承から外れて伊賀国の宮室に移り住み、」
伊賀国造 ( 伊勢 )
伊去波夜和気命神社 伊去波夜和氣命神社 (石巻市水沼)
ホームページ移転のお知らせ - Yahoo!ジオシティーズ
何か情報があればお寄せください。

【参考】
http://plaza.rakuten.co.jp/junko23/diary/201203120000/
東日本大震災 宮城県地区被害情報 石巻市渡波地区
宮城県石巻市・渡波海岸の防波堤は津波を食い止めた? 高解像度航空写真で検証
神祇史料集成・経済


水沼 伊去波夜和氣命神社

【付記】
・「麗しき国土を守り」育むのは、あらゆる人々の願いです。
http://maruta.be/anntokyo1107/
 
ブッダの教えと原始神道の重なるところに
真理があるのでは、ないかと思っています。
今の瞬間を生きる | 日本テーラワーダ仏教協会