3.11から1年7ヵ月の日に読んでいる本

「忘れそうな心」にくさびを打ち込む本。 この1年7ヵ月とはなんだったのか、これからどうするのがベストか。このことを考えるために今読みつつある二冊の有益な本を紹介します。

津波のまちに生きて
父母の思い出の話からはじまる川島秀一さん(3.11当時気仙沼)著
震災後の夢「「なぜ早く連絡しなかったのか」と私が母に向かって怒鳴ると、「連絡できなかったんだよ」と周りの年寄りの一人が語った。よく見ると昭和五十五年に亡くなったはずの母方の祖母であった。目覚めてから、ああ母親は死者のナカマイリをしたのだと確信した」
とりわけ、このたびの津波でお亡くなりになった母はこの作善の中で成仏されたのかなぁと、ふと、思わせられるた。
この書の構成は谷川健一先生のすすめという。
川島氏は書籍や文献の大半が津波で家ごと流された中、遠野市図書館に通って引用文献などを確認したという。

「その地域それぞれの地勢や風土、生活の特質に見合った復興の仕方を考えなければ、災害のないムラづくりなど構想できないであろう。
漁労文化を置き去りにした復興は、本当の復興には成り得ない。」(川島秀一)
同感。
「皆流されても、体で覚えているものは流されなかった」(鵜住居「片岸虎舞保存会会長」)



3・11から考える「この国のかたち」―東北学を再建する (新潮選書)
3.11から猛スピードで被災地を歩き考えている赤坂憲雄氏はiPadという文明の利器に助けられ、その思いを書き綴ってきた。本書は『震災考』の序章でもあるという。


                         (南相馬市小高2012.4)
Ⅳ 泥の海へ あらたな入会地の思想へ 南相馬市小高
「たとえば、百年前の潟の風景へとやわらかく回帰するシナリオだってあっていい。潟環境を再生するプロセスのかたわらで、風力発電太陽光発電などの再生可能エネルギーのファームとして利用することもできる。・・土地所有者たちは潟を舞台とする再生可能エネルギー事業に株を取得して参加すればいい。おそらく苦労して米作りを行うより収入は多くなるはずだ。」

福島の浜は今─小高区浦尻貝塚から - JIEN記
「役に立たぬ堤防を造り、耕す人のいない水田地帯などを復元している余裕など、この国にすでにない。
目先の利益を追う者たちに「この国のかたち」の将来デザインをゆだねることはできない。
原発をめぐる選択はその試金石となるに違いない」(赤坂憲雄)