赤坂憲雄「震災論Ⅱ」から


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『仙台学 vol.14』

(釜石まつり 2012.10.20)

「いつしか思うようになった。
わたしたちに可能なのはただ、
子どもたちのために何をなすべきか、
それを執念深く考え続けることだ、と」
            (「それは生存の条件となった」福島民報2012.4.1)

(釜石まつり 2012.10.20)

「おそらく、われわれは近代の黄昏の中で
巨大な防潮堤を造るよりも
干潟に還すプロジェクトのほうが現実的(リアル)であるような
未知なる現実にはじめて遭遇しているのである。
大きな構想力が求められている。
あたらしい現実に根差した言葉がほしい。
それなしには、東北のあすを豊かに語ることはできない。」
(「3.11以後 
未知なる現実/あたらしいことば」
東京新聞 2012.9.21)

「東北の民俗芸能の多くが、生きとし生けるものものたちすべての命を寿ぎ、
演じられてきたことの意味を問い続けたいと思う。」(赤坂憲雄2012.3.31)
その江戸時代の碑は、上の拙拓本のように「一切の存在に躍りをもって供養する」と神仏を敬って申し上げているのでした。
JIEN記

                        (南三陸町2012.12)
「これからの災害教育は、
われわれが「災間」を生かされていることを共通の認識として組み立てられる必要があるにちがいない。」
         (「災間を生かされてあること」『教育展望』2012.9.1)
※本来は、もっと前後の文を拾う方がよいと思われるが、伝達の都合上割愛させていただきました。


          いまだ鳥居ちぎれても 
          幡 旗めき 
          夕日に照り映えて 

(南三陸町戸倉神社は社殿のすぐ下まで津波が来ました)


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