震災からよみがえった東北の文化財展(遠野)


これは行きたかった。行ってよかった。「震災からよみがえった東北の文化財展」遠野市立博物館

「「博物館資料を持ち去らないで下さい。高田の自然 歴史 文化を復元する大事な宝です。」この一言に突き動かされて文化財レスキューがはじまったのです」(キャプションより)
この企画展を目指して行って、この「瓦礫の中のメッセージ」を見て、出口から入ってしまったのですが、これは、すごいメッセージです。
この紙の最後には「市教委」と書いてあります。


「民俗芸能は心のよりどころ」
サロンでは、Aさんの汗の結晶が流れていて、思わず魅入ってしまう。
そして、『とりら』もありました。
 右端の虎頭「次郎」は、3.11大津波の後、遠野文化研究センター職員が瓦礫の中から発見。釜石市の「只越虎舞」の双子の虎のうち「次郎」と判明(太郎は未だ見つかっていないようだ。)。三陸に生きる人々の精神文化のシンボル「虎舞」は、震災後も各地で奉納されているとの説明がありました。)
遠野市博物館の企画展示で持ち主を捜して展示していた虎頭の団体がわかりました。 okuderazeki/ウェブリブログ


陸中沿岸の廻り神楽─田老にて - JIEN記
災害と郷土芸能─大船渡にて - JIEN記


ぜひ多くの人に見ていただきたい展示(この日、人出は少ないと感じた)。
そして博物館の活動は、歴史文化遺産を担う全ての人々の「協創」と思った。

震災からよみがえった東北の文化財展
                       (東京都からのお知らせ)
http://www.city.tono.iwate.jp/index.cfm/25,10265,122,144,html
遠野市の(遠野市立博物館)HPには、どうして登場していないのか不思議です。


宮沢賢治 (ちくま学芸文庫)

宮沢賢治 (ちくま学芸文庫)

吉本隆明さんのご冥福をお祈りいたします。合掌
印象に残る本はこの『宮沢賢治』と『共同幻想論』の「遠野物語」分析でした。

歌津三嶋神社・戸倉神社(南三陸町)


南三陸町歌津に鎮座する三島神社では、鳥居の修復が始まっていました。
伊里前の仮店舗は右奥で営業しております。


境内の神木
歌津てんぐのヤマ学校: 命をはぐくむ海と川に感謝する日々をとりもどしたい
↑蜘瀧仙人さんのブログを紹介させていただきました。


戸倉神社
すぐ下まで大津波でえぐられ、下の家はもぎ取られてままでした。

合掌 一歩前へ

右下の明神池まで浜辺だったのでしょうか。(グーグルアースより)
板碑がたくさん発掘されています(しっかり社の最高所に残っていました)ので浜の霊場だったのでしょう。

波伝谷(はでや)の民俗(東北歴史博物館)
戸倉神社のまわりの集落の民俗の詳細な報告です。
http://homepage3.nifty.com/kakurezato/CCP.html


天女が墓伝説のある地「津の宮」(南三陸町戸倉津の宮)

                         (グーグルアースより)

田束山(たつかねやま)に「世界のみなさんありがとう」と折鶴 
ホテからGO仙台
桐生タイムス | 折り鶴、被災地へ 震災1年に向け桐生の4校で制作進む

行山流水戸辺鹿子躍り(ぎょうざんりゅうみとべししおどり)─発祥の地

行山流鹿踊りの発祥の地の石碑が、あの大津波で流されていないことを神宮威一郎さんのHPで知り出かけてまいりました。神宮様に厚く御礼申し上げます。(19日)


津波で甚大な被害を受けた浜を見下ろす高台にありました。

浜のようす


付近の方の話では、横倒しになって土地の人も気づかなかった状態のものを、立て直したものとのこと。碑文は朽ちて、肉眼ではほとんど見れませんでしたが、墓碑がいくつもあったので、もしかすると躍り手たちの墓所が、海を見下ろす高台にあったのかも知れません。下記の動画にみるように、この地に津波がとどかなかったことで、水戸辺鹿子躍り復興の支えになっているようでよかったです。

  (グーグルアースより)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120123/art12012308120002-n1.htm


                             (水戸辺漁港)
http://www.kakitoku.co.jp/tsunami.html
Twitter. It's what's happening.
◎神宮様の水戸辺記
被災地の神社・寺院の状況
水戸辺自治

                  (戸倉神社より戸倉横津橋方面を望む)
【データ】
「旧伊達領北部に伝わる「行山流」の鹿子踊りは、水戸辺村の住人であった伊藤伴内持遠が元祖とされています。一関市舞川(旧相川村)に伝わる巻物によると、伊藤伴内から弟の五郎と三介に伝えられた鹿子踊りは、平磯浜の千葉平九郎、入谷村の安倍四郎兵衛に伝授され、さらに平九郎を通じて相川村の吉田猪太郎に伝えられたと記されており、巻末には元禄十三(1700)年七月吉日の日付とともに持遠の花押が添えられています。後に四郎兵衛のいた入谷村が伊達藩養蚕業の中心地として栄えるようになると、胆沢、磐井、気仙などの諸地域との結び付きが強まり、それによって「行山流」と称される鹿子踊りが今日見られるように広く各地に伝播されたものと考えられます。行山流発祥の地である水戸辺、入谷とも鹿子踊りは途絶えていましたが、昭和五十七年に水戸辺集落を見おろす高台の土中から「奉一切有為法躍供養也 享保辰年 本吉郡水戸辺村敬白」と刻まれた石碑が発見されました。「世のなかに存在するすべてのもの(一切有為法)のために、躍りをもって供養し奉るものである」と解釈されます。この供養碑の発見を機に獅子踊り復活の機運が高まり、平成三年四月一日に行山流水戸辺鹿子躍保存会が発足、伊藤伴内直系の躍りを伝える舞川鹿子躍保存会からの手厚い指導のもと、平成四年七月に地区水戸辺の人々に初披露、八月十四日には菩提寺である慈眼寺にて躍供養として奉納し、平成五年九月には復活の「庭揃え」となりました。」(下記「南三陸観光データベース」より)
http://www.m-kankou.jp/kanko/index3.php?id=62



行山流 の検索結果 - 因縁果子
災害と社会・文化: 愛deerプロジェクト
鹿角〜愛deerプロジェクト : blogとりら


戸倉の海岸公園 モアイ像のまわりでも復旧工事?が始まっていました。