「硫黄島」の死者たちは「証言者」を通じて私たちに話しかけている


最後の投降者
 ウィキペディア硫黄島の戦い」によると「昭和24年(1949)1月1日に最後の日本兵二人が米軍に投降した」とある。調べてみたら上坂冬子氏の『硫黄島いまだ玉砕せず』に書いてあった。彼等は島の北東部の水が得やすい場所に取り残されたのが幸運だったようだ。一人は「埋めていた日記を」取りに硫黄島に戻り、する摺鉢山の断崖から投身自殺を遂げた。彼は和智恒蔵氏に「戦友の霊がひとだまとなって夜になると光を放つ」と話したという。本の中心はその和智元硫黄島警備隊司令が僧になり「寿松庵恒阿弥」と名乗って硫黄島慰霊と遺骨収集に後半生を捧げ、硫黄島協会を設立した話。米兵が記念に髑髏をかなり持ち帰り、その返還運動をした事実には驚く。
硫黄島いまだ玉砕せず (ワックBUNKO)
青山繁晴氏の硫黄島取材」に寄せて─滑走路の下の1万3千人の遺骨
 硫黄島にはなぜ?約1万3千人もの日本人の遺骨が現在も眠っているのかということは理解できていなかった。しかし、偶然見ることができた関西テレビ12月13日スーパーニュース「アンカー」で青山繁晴氏が現地取材した内容に愕然とした。栗林中将のいた司令部壕をはじめ貴重な映像と「硫黄島の戦いで米軍を食い止めている間、軍中枢は和平交渉をすればよかったのに、しなかったため、五ヵ月後にヒロシマナガサキに原爆が落とされた」などの重要な指摘がある。さまざまな次元の中でも、確かに秋草さんや2万の将兵が海を埋める艦隊を見て、唖然としたように、絶対勝てる戦いでないのであれば、「硫黄島の戦い」を最大限に生かすためには、その間に和平交渉をすることでした。番組の反響も大きく(ブログではパンキーモンキーさん「硫黄島を考える」など)必見の放映といえます。「映画」は娯楽の域で展開しているものですが、今回の映画の背景は極めて空恐ろしい背景を持っていました。今頃、震えている私です。
「当時、米軍は早く日本を爆撃するため、地下壕の日本兵士(筆者注 多数の遺体と生きている者も!)滑走路でおおってしまった結果」という趣旨の発言をされていた。そういえば秋草さんや金田さんたちはブルドーザーなどの滑走路作りが彼等のいる地下壕にどんどん迫り、生き埋めになる恐怖と夜の脱出を語っていた。
しかし、それなら青山氏のいうように現在は遺骨収集可能だし、一般人が行けるようにできるはずと思ったが... 東京都小笠原村硫黄島は現在、海上自衛隊の航空基地があり、一般の人は入れない(映画撮影の許可も一日だけだったという)。一般人が行けないのは、軍事戦略上の重要拠点だからか。そういえば30日の新聞には尖閣列島に関わる対中国を想定した日米合同軍事演習の拠点となっていることが報じられていた...ブッシュ大統領イラクは「硫黄島」と同じくらい大事という趣旨の演説をそのニュースは流していた。日本人の多くはクリントさんが映画化するまで、硫黄島のことを忘れていた。感謝にたえない。
硫黄島」は青山氏のいう意味(氏は「硫黄島は生きるヒント」と表現した)を含め、ブッシュさんとは別の意味で現在の、そして将来の日本と世界を考える大事な場所であった。食事のたびに蚤・虱・蛆や炭を食べた硫黄島の兵士のことを思います(061230.070101追記)。
 硫黄島の戦いでの2万七千人近い死者たち(日本軍死者約2万人)は奇跡的に生還した「証言者」や青山さんのような果敢な「証言者」を通じて、「俺達の死を無意味にしないで」と一生懸命、話しかけているようだ
●青山氏硫黄島取材については青山繁晴 硫黄島現地取材その1 その2」(You Tube)に拠る。
◎参考
・「硫黄島探訪」
 http://www.iwojima.jp/
・「硫黄島の戦い」(ウィキペディア)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A1%AB%E9%BB%84%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
・西竹一(ウィキペディア)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E7%AB%B9%E4%B8%80
クリント・イーストウッドさんへのお礼
硫黄島の戦い」について書いて以来、現在でも毎日のように10数件のアクセスが飛び込んできて、我ながら驚いています。当時15歳だったというクリントさんのこの映画のおかげで、私を含めて多くの日本人が硫黄島の戦い」の背景に「気づいた」のでした。クリントさんが「男たちの戦い」に共感したことから始まり、アメリカ国民の感じるイラク戦争の現実がこの映画に反映していることも事実ですが、日本人が太平洋戦争そして「戦争」について、これほど考えるきっかけを与えたことはきわめて重要な事実です。しかも当時の生存者の年齢を考えると61年の歳月はまさに、ぎりぎりでした。ありがとうございました(2007.1.15付記)。
硫黄島を訪れたクリント・イーストウッド談】
島全体にスピリチュアルな風が吹いているようで、私たちはただただ戦争の悲劇に圧倒されるばかりだった
                 (パンフ『戦場からの手紙』ワーナーブラザーズ映画2006.12.9)
・例えばの話だが「硫黄島の全遺構(壕など)を他の「戦争遺跡」と同様、発掘調査し、遺骨収集をしっかりやった上で(供養と)、原爆ドームと同じように人類の恒久平和祈願の証として「世界遺産」としてはどうか」という発想もありえる。これができないのは現在も軍事戦略の要という国際政治の現実などがあるからではないのか。
原爆ドーム(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%88%86%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%A0#.E4.B8.96.E7.95.8C.E9.81.BA.E7.94.A3.E3.81.B8.E3.81.AE.E7.99.BB.E9.8C.B2
※米・中が世界遺産登録の過程で難色を示したということに留意しておきたい。
PS「硫黄島からの手紙」に関連する詳細なブログを見つけました。「楽しまずんば是如何」という仙台人としてはうれしい名前ですが、これによる「硫黄島」は『硫黄島 極限の戦場に刻まれた日本人の魂 』(武市銀次郎)を引いて、本来「いおうとう」と呼ぶのだそうです。先の青山氏が放送で言っていたのも納得です。
なお、蛇足ですが伊達政宗の視「馬上少年過 世平白髪多 残躯天所赦 不楽是如何」は「馬上少年過ぐ」が司馬遼太郎の小説にも使われて有名ですが、渡辺謙の「独眼流政宗」は今でもNHK大河ドラマ最高視聴率を誇っており、渡辺謙の初期代表作として小生も好きです。「楽しまずんば是如何」の作者が謙さんファンというのは納得です。
●「楽しまずんば是如何」http://mikihirate.exblog.jp/
  栗林中将の最期8 ─『<検証>栗林中将 衝撃の最期』文藝春秋2月号─など参照
●祝硫黄島からの手紙ゴールデングローブ賞 外国語映画賞(2007.1.16)
●追加情報
・「栗林中将の絵手紙」(昭島歴史探訪部会HP http://www.tanbo.ma.cx/より)
 http://www2.bbweb-arena.com/norisan/