地底の森の雛人形


                              (地底の森ミュージアムにて)
春三月 コンクリートに ひな二人

地底の森ミュージアム ~ちていのもりみゅーじあむ~
03 地底の森ミュージアム(1)|レポート|MUSEUM ACTION|インターネットミュージアム

古代東北の城柵と災害+奈奈子祭の餅

第39回古代城柵官衙遺跡検討会(東北歴史博物館 二日目)
雪模様の日、全国から多くの研究者が参加しておりました。

調査成果と討論から、古代の城柵跡には、大地震など自然災害の痕跡は、希薄であるようでした。自然災害は城柵に決定的なダメージは与えていない旨のまとめ的見解もありました。
しかし、払田柵跡(ほったのさくあと 秋田県大仙市)では9世紀中頃の地震によるとみられる築地塀・石塁の大規模な倒壊跡と改修が明らかになっていることは、重要です。
払田柵跡 第2回考古学セミナー資料
討論をうかがいますと、史料には古代の大地震が散見することから、東北の諸城柵では、蝦夷との緊張関係からその機能を保つため、むしろ迅速な修復が行われていたと考えられます。
おそらく、今回の震災を契機に、災害痕跡のみならず「修復痕跡を探る」という明確な問題意識で発掘調査していけば、これから各所で確認される可能性はあると思います。
最後にSm氏が鋭く問題提起したように、国分寺など城柵以外の公的施設の様相をおさえるともっと多くのことがわかってくるとと思います。例えば陸奥国分寺では、貞観十一年陸奥国地震、いわゆる「貞観地震」被災の記録は史料に出てきませんが、陸奥国分寺跡の発掘調査によって、貞観地震後の大量の瓦の廃棄跡が明らかになっていることから被害は甚大であったと考えられています。さらに、近年、貞観地震後の可能性がある梵鐘鋳造遺構などが調査されているので併せて検討していけば、貞観地震による被災と復旧・復興の様相が、より明らかとなるないかと思いました。
それでも生きる 考古学からみた災害のあと 地底の森ミュージアム
http://www.47news.jp/photo/322517.php
また、Sh氏の集落跡の調査からみた津波の到達範囲の指摘や研究史に関する問題提起も重要でした。そして、文献の鈴木琢郎氏(宮城学院女子大学)の史料整理により、論議となっていた津波多賀城の町並み(方格地割)に達していたかに関わる「(津波は)たちまちに城下にいたり」の「城下」も「多賀城を中心とした広範な領域」と解釈されるなど門外漢にとって勉強になりました。感謝。
今後、多賀城の方格地割を中心に分布する9世紀の「黒褐色堆積層」など津波堆積層の可能性ある層の自然科学分析が進められると文献との照応により古代における自然災害とその対応の様相が明らかになると思いました。。
9世紀火山地震(5)ーー貞観地震: 保立道久の研究雑記
貞観地震・津波からの陸奥国府多賀城の復興:柳沢和明
東北地方における自然災害の様相とその対処のあり方が解明されるための有意義な大会でした。

付け足しですが、火山灰堆積物、洪水的堆積物の重なりをみますとこれらの連動による連鎖的災害が起きている可能性を感じます。この間隔が狭ければ、より大きなダメージになったことでしょう。発掘調査と諸科学との連携によって解明されていくと思います。
このような最新の調査・研究成果によりまとめられた「東北古代の災害と社会」についてぜひ、防災の見地からも市民向けの報告会(古代城柵に限定しない)が開かれることを期待したいです。

【関連基本データ】
NHK そなえる 防災|コラム|東日本大震災の津波を考察する
お知らせ | 宮城県多賀城跡調査研究所
城柵の役割
城柵 - Wikipedia

・この日、行きたかった催し 奈奈子祭 釜石市箱崎白浜で行われた「奈奈子祭」に行ってきました。朝六時吹雪を突いて無事到着めくるめく芸能大会 okuderazeki/ウェブリブログ


なんと! あの奈奈子祭で山の神がまいたお餅が届きました。
ご盛会の由 お慶び申し上げます。
blogとりら

〔釜石市〕おもしろい郷土芸能祭、見つけました。 | イーハトーブログ - 楽天ブログ
[報告・郷土芸能復興支援プロジェクト]奈奈子祭:釜石の民家で演じられる神楽や虎や鹿を観て復興支援!-Re:Discovery Japan 〜 公益社団法人 全日本郷土芸能協会

震災遺構の保存に向けて(3.11震災伝承研究会)


ほぼ、同時刻、東北学院大学には取材陣が押し寄せておりました。
垣間見ただけですが、身体が二つあったら両方聞きたいという重要なシンポジウムでした。
東日本大震災・震災遺構シンポジウム「震災遺構の保存に向けて」
主催:3.11震災伝承研究会
河北新報によると 「元広島平和記念資料館長の原田浩さんは、戦後20年たって原爆ドーム広島市)の存続に向けた市民運動が起こった経過を説明した。「震災の教訓を子孫にどのような方法で伝えることができるのか考えてから、遺構の保存の賛否を検討してほしい」と訴えた。」
震災遺構の保存に向けて
http://www.kahoku.co.jp/news/2013/02/20130224t13010.htm

同新聞によりますと「宮城県女川町の女川一中2年の生徒さんが津波で倒壊したビルの保存や町内の津波到達地点の約20カ所への石碑設置などを提案。津波被害を後世に伝えることの重要性を訴えた。」とのことでした。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130214-00000072-mailo-l04
http://mytown.asahi.com/miyagi/news.php?k_id=04000001302240003&buffer_share=ec885


いただいた「震災遺構の保存に向けて」パンフレットは、とても重要でした。
「震災遺構とは? ─100年後の子どもたちのために─
●大津波の脅威を伝える
●慰霊の場として
●そこにあった生活の記憶
◎震災に負けなかった! 希望のしるしとして」

と「未来の命を守る貴重な資源」としての意義を訴えています。
原爆ドームという悲惨の極致が平和への願いのシンボルとなっている「歴史」
と「現在」ますます、その意義を高めていることからも基本的に同感です。
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/visit/est/build/A_dome2.html
3.11震災伝承研究会第二次提言

気仙沼市鹿折1209)
実際に現地に行って、地域の人々の気持ちが大事だと思いました。そして鎮魂の場として訪れる多くの人々のお姿が心に焼きついております。
科学的保存処理を施した上で、「鎮魂の場」としての整備を基本とすることで、しだいに「防災」「減災」のシンボルに成長して行けるのではないでしょうか。
http://www.kahoku.co.jp/news/2013/02/20130223t13024.htm
長崎原爆の日67に震災学 - JIEN記


会場付近に「栗駒山ジオパーク構想」のポスターとチラシがありました。
「未来の命を守る貴重な資源」という前述の趣旨はこのような手法が地域復興というか、大地震以前よりよい状態を創るのに良い場合があると思います。
http://www.kuriharacity.jp/index.cfm/9,2481,33,html
中越メモリアル回廊 ― 私たちの10月23日を伝えるために。 ―

民俗芸能と祭礼からみた地域復興


副題「東日本大震災にともなう被災した無形の民俗文化財調査から」
東北大学東北アジア研究センターシンポジウム・片平桜ホールにて)
宮城県地域文化遺産復興プロジェクト(文化庁補助事業「文化遺産を生かした観光振興・地域活性化事業」)」と長い題のシンポジウム
東北大学 東北アジア研究センター


どれも貴重な報告であったが、興味深かったのは、阪神淡路大震災との比較を含めた文化人類学の岡田浩樹氏。

「震災をめぐる外部の言説に応じ、民俗文化の復活によって「記憶の共同体」を可視化しようという一連の動きについて、もっとも成功した事例である大曲浜は「伝統的な」基盤から離脱した保存会を作り上げ、新しい民俗行事のあり方を作り上げていたという、ある種のパラドクス」(レジュメより)

ぜひ、実現して欲しいのが木村敏明氏(宗教学)報告の「お潮垢離行事」
加美町宮崎の熊野神社から40kmの道のり。21年目にご神体は、被災地の東松島浜市に到達できるかどうか。

パネルの「北釜の女は強い」に思わず微笑んでしまいました。
志賀理江子「螺旋海岸」から北釜へ - JIEN記


              (調査地を示したパネル)
多くの調査事例が報告されたが、その民俗芸能・祭礼の具体が紹介されないまま進む話もあり、鬱屈を起こしていた私を救ったのは、牡鹿・白山神社で笛を担当する若い沼倉氏の笛の音であった。
白山神社例大祭!!5月3日開催!! : 牡鹿半島 癒しの旅委員会ブログ
この調査は岩手県福島県でも進められており、さらに全体的な整理が進められ
報告会が開催されることが期待される。その時は、ぜひ、復活した民俗芸能を招待していただきたいと思います。
みやしんぶん調査
民俗芸能と祭礼からみた地域復興ポスター

写真は山元町八重垣神社のお天王祭のものか
山元町八重垣神社 - JIEN記

・販売していない報告書はダウンロードできます。
日本大震災にともなう被災した無形の民俗文化財調査

朝鮮五葉松─氷河期の森を歩く


氷河期の森のチョウセンゴヨウ(地底の森ミュージアム野外展示)
http://www.city.sendai.jp/kyouiku/chiteinomori/guide/exhibition03/mori/mori.html
チョウセンゴヨウ,朝鮮五葉,海松子,松の実,Pinus koraiensis,マツ科マツ属


チョウセンゴヨウの実(長さ約15cm)
http://www.smma.jp/event/%E4%BC%81%E7%94%BB%E5%B1%95%E3%80%8C%E6%A3%AE%E3%81%AE%E4%B8%80%E5%B9%B4%E2%80%95%E5%9C%B0%E5%BA%95%E3%81%AE%E6%A3%AE%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%83%A02012%E3%80%8D/


20000年前の富沢遺跡出土のチョウセンゴヨウの種子

↓殻剥き機があった!
【サイト統合のご案内/サンナッツ食品株式会社】ジャイコーン(ジャイアントコーン)、松の実、ピスタチオ等ナッツ・ドライフルーツ類など製造卸売販売


笠原由起子 「氷河期の森の植物レリーフ
GALERIE SHIMON--ギャルリー志門
里山だより:笠原由起子


          「氷河期を生き抜いた人類」に感謝。 (画:細野修一)
富沢だより


カミキリムシとハンノキ

ハンノキ
氷河期の森だより


氷河期の森の朝

【最新情報】
http://www.kahoku.co.jp/news/2013/02/20130222t15030.htm


こどもたちと自然の交流場でもある(企画展「森の一年」パネル)

【関連リンク】
http://www.smma.jp/column/%E9%87%8E%E5%A4%96%E5%B1%95%E7%A4%BA%E3%80%8C%E6%B0%B7%E6%B2%B3%E6%9C%9F%E3%81%AE%E6%A3%AE%E3%80%8D%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8-2/
仙台の旧石器時代 富沢遺跡 http://www.city.sendai.jp/soumu/kouhou/shisei/sis1110/town.html

「森の木の実」(企画展「地底の森ミュージアム─森の一年」より)

春へ
花咲く氷河期の森 - JIEN記
春の氷河期の森 - JIEN記

「震災後の海岸の自然環境の変化」展


「青森〜千葉 震災後の海岸の自然環境の変化〜海岸植物群落から見た海岸の今とこれから」展(アエル29Fニコンプラザ仙台)と長い題の展示会。
本日の河北新報夕刊「河北抄」に大震災による津波は「意外にも、(松林の)ほかの植物にはほとんど影響がなかったという。浜の花や木は、災害に強かった」を見て駆けつける。時間がなくじっくり確認できなかったが会場の性格からか写真が美しく、浜の砂の実物が並んでいて顕微鏡で見ることができる。
なんと明日20日まで。
20倍の顕微鏡で見る海岸の砂の美しさをあなたもぜひ、味わってみてください。
東日本海岸調査の報告会を東京・仙台・盛岡で開催します。 - オフィシャルPro|NACS-J
日本自然保護協会「東日本大震災特別サポートページ」
報告会も行きたかった...

確かに、先日の「せんだい生態系再生より処」(文学館)での向井康夫さんの津波を受けた田んぼの調査結果の「生き物は強い」に符号するようだ。
自然環境調査と生態系調査など多面的角度から復興の在り方を探る必要があると思う。
それにしても生き物の回復のたくましさ、人間も見習わなくては。


見逃された方は、このカラフルな『震災後の海岸植物、海、そして人─東日本海岸報告書』(日本自然保護協会)をPDFでご覧ください。
震災後の海岸植物、海、そして人─東日本海岸報告書

名取川の大氾濫─潜在的脅威の発掘

「私たちは、過去五千年間に起こった大洪水の痕跡を見いだし、沖積平野という地形が持つ、潜在的な大規模自然災害を明らかにしようとしています」(配布資料より)
松本秀明先生(東北学院大学 自然地理学)の講座「縄文時代の自然災害─名取川の大氾濫」(仙台市縄文の森広場「縄文講座3」)は衝撃的でした。
特に津波対策で高い防潮堤を造ったところに河川の大氾濫や土石流が起きれば行き場を失った土砂によりさらなる大災害となる可能性が指摘されたこと。
津波を避けて、高台に移住してもこのような場合の対策がとられなければならないと感じた。
2500年前(縄文時代晩期)、1500年前(古墳時代中期)、1000年前(平安時代)仙台平野には大洪水の痕跡が明らかとなってきており、レジメによればいずれも温暖化の時期に起こっているので、大洪水はいつ起きてもおかしくないとのこと。
大崎平野でも2500年前には北小松遺跡で巨大洪水らしい痕跡があるので大きな広がりがあったのかもしれません。
縄文時代の自然災害(相原淳一 仙台市縄文の森広場)
レジメの副題に「将来の私たちを襲う潜在的脅威の発掘」とあります。ぜひ松本先生の研究成果を防災に役立ててほしいものです。
ちなみに2500年前は縄文時代から弥生時代への転換期、1000年前(平安時代)は確かに遺跡数が激減する時期なので考古学とのつき合わせにより新たな「歴史像」を描ける可能性を感じました。

↓今回のレジュメとほぼ同じ内容の松本氏の最新情報
仙台平野の「巨大洪水」の痕跡
巨大洪水や巨大津波の痕跡を検出する研究,そして災害履歴地図へ|事業の成果|日本学術振興会
http://www.izcc.tohoku-gakuin.ac.jp/liberal/Hmatsumoto/
・ミレニアム規模のハザードは津波にだけ目が向いているのが現状
ミレニアム津波ハザードの総合的リスクと被災後の回復過程の評価
名取川の洪水伝承など
宮城の旅 仙台市太白区 落合観音堂 【観光案内・地域情報・タウン情報】
http://www.stks.city.sendai.jp/sgks/WebPages/taihakuku/37/37-03.htm