犬葬!?

「犬の埋葬」ではなく「犬に遺体処理してもらうこと」!?

発掘屋・骨屋・文献屋有志が集まる「中世の遺棄葬を考える」というマニアックなシンポジウム(第1回中世墓を考える会 奈良)に参加。「遺棄葬」といっても葬送儀礼が伴ったかどうかは考古学的には痕跡が残らなければ無理。遺体変形の環境との関わりを研究している若い鵜澤和宏先生の冷静かつユーモアあふれるお話に感銘を受けた穴掘り屋が多かったようだ(名言!゛骨の取り上げはボーンボーン掘らずにコツコツ掘る")。狭川真一先生の膨大な発掘データから「遺棄葬」を見出す試みも先駆的だ。『死者たちの中世』などで著名な勝田先生から遺体を犬が食べることを前提として中世に「犬葬」ともいうべき「風葬」がありえた可能性が示唆された。一遍は弟子に「葬礼の儀式はととのふべからず。野に捨て獣に施すべし」(『一遍上人語録』)と言い、親鸞は「親鸞閉眼せば、賀茂河に入れて魚にあたうべし」といっているので獣や魚に遺体処理していただくことの意味で「獣魚葬」などという言い方もありえるかも知れないと思った。ちなみに勝田至先生は自分では(死んだら)「捨てよ」といっても、第三者が言う場合は(遺体を)「置く」という場合が多いそうだ。土葬や火葬と並列して「遺置葬」とでもいおうか。
葬送史の新しい展開が見えつつある(同会は文科省科研費「中世考古学の総合的研究」の一環)。

死者たちの中世

死者たちの中世

蛇足
多くの中世庶民の最後の在りよう。一遍や親鸞は、その現実を「食物連鎖を最後に逆転する」と捉え直して意義付けていたのではないか。あの『死霊』の埴谷雄高が聞いたら感心しそう...
死霊(3) (講談社文芸文庫)

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