『祖父の硫黄島戦闘体験記』

一工兵の体験記。昭和19年7月1日島に着くが翌日から空襲の連続で仲間や住民が次々と死んでいく。斬り込み隊として爆弾を背負い、戦車に飛び込む寸前に別の日本兵が飛び込む、他の7人が次々と戦死した後、穴の中の日本兵の死体の山に落ちて、手榴弾で自決しようとしたが、栗林中将の「最後の一兵になるもゲリラとして敵を悩ませ」の命を思い出し止まる。米軍の生き埋め作戦の直前に「穴」を脱出。やがて米軍に見つかり、「撃て」と自らの胸をたたくも、撃たれず(昭和20年3月18日 誕生日という)。捕虜になり、昭和21年1月4日浦賀に着き、病院で、大河の中で妻と別れた夢をみたが、「正夢」となって、2月29日高知の病院を退院して郷里に戻った時には妻は亡くなっていた。
 『祖父の硫黄島戦闘体験記』
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