「霊場になりかけた」秋保温泉


磊々峡(らいらいきょう)

慈覚大師(円仁)が霊場を開こうとしたとされる「洞窟堂山」の朝日
         ※(山内は私有地・秋保石採掘場で無断立ち入り禁止です。)

滝不動

                 (教育委員会の説明板)
磊々峡を見下ろす絶景の地であり、付近には薬師堂などあって(従来、円仁開創と伝えられる泉明寺と一体とされている)聖地的な場所を慈覚大師を信奉する集団がその地を占めようとしてうまくいかなかったのかなと思う。

●秋保には平家の落人伝説があるが、近年の研究では秋保氏が長崎氏とも称していることや、秋保の属する名取郡が宝治元年(1247)の宝治合戦後に北条氏の支配地となることなどから鎌倉幕府執権北条氏の被官である長崎氏の流れとされる(『仙台市史 古代中世』2000)。
◎秋保里センターHP
http://www.stcb.or.jp/akiusato/rekishi/tera3.html